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ようこそ「歌の国・はるかなる大和」へ

【「日本の名文を歌おう」とは】
 日本人の心意気を歌おう。万葉集・古今和歌集から枕草子・徒然草・方丈記・奥の細道、そして夏目漱石・宮澤賢治までの日本の名文を高らかに歌おう。芭蕉が歌う、兼好法師も唄い出す。漱石が歌う、賢治も唄い出す。清少納言も、紫式部も、与謝野晶子も歌いだす。ここは、「歌の国・はるかなる大和」です。
 われらが大和の国は、神代より、「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ国」でした。万葉の昔より、老いも若きも、男も女も、生命の息吹を、躍動感を言葉に託して歌って来ました。
 生きとし生けるものに心があります。心、ころころ転がって、見るもの聞くもの、これ絵となり詩となって万物万象と共鳴しあい、歌となります。
 ここに私は、古来の万葉集にあやかって、「日本の名文を歌おう」と称して、古今の日本の名文に節を付けて歌ってみました。ここでは、歴史上のさまざまな人物が、おのおのの言葉を歌いはじめます。さあ、日本の名文を高らかに歌い、「はるかなる大和の国」に思いを馳はせよう。

【流行歌と不易歌】
 世に流行歌は多い。特に現代は流行歌が量産され、一年前の歌はもはや古くなってしまうほどです。流行歌に対して私は、不易歌(ふえきうた)なるものを考えました。不易流行(ふえきりゅうこう)という言葉から取ったものです。時代とともに変わってゆく流行歌に対して、時代を超えて変わることなく、いつの時代にあっても、人としての誠の道と心情を歌ったもの、それが不易歌です。
 その不易歌の歌詞は、日本の名文から選んでみました。節まわしは、時代とともに変わるかも知れませんが、名文の持つ内容の真価は変わらないでしょう。その名文には、それを語った人の生命の息吹が込められています。「歌の国・はるかなる大和」では、一人ひとりが歌手なのであります。歌が上手いとか、下手とかは、全然関係ありません。歴史を貫いて伝えられてきた日本の名文を、自分なりに節をつけて朗々と歌い、いささかなりとも、おのおのの人生を心豊かに生きることの縁(よすが)ともなりましたら、幸いです。

 もとより私はプロの歌手ではありません。単に、歌が好きなだけで、歌っていますから、プロのような歌唱力はありません。そういうことを了解の上、ご視聴下さい。