【新 裏日本百景】北恵那鉄道の面影
Автор: 裏日本百景【廃墟・遺跡・ゴーストタウン】
Загружено: 19 апр. 2025 г.
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【廃墟・遺跡・ゴーストタウン】新 裏日本百景 北恵那鉄道の面影
〈北恵那鉄道〉
かつて「えなでん」の愛称で親しまれた北恵那鉄道線は、
岐阜県中津川市の中津町駅と、恵那郡付知町の下付知駅を
結んでいた北恵那鉄道(現北恵那交通)の鉄道路線でした
JR中央本線中津川駅の北側にあった起点の中津町駅は痕跡がなく
少し離れた現役工場とお寺の間から廃線跡は始まっていました
廃線跡はまっすぐに竹林の中へと続いているようでした
第一中津川橋梁
えなでんは始発駅を出るとすぐにこの橋を渡っていたようです
市道の妙見大橋の下を交差するように中津川を渡渉していました
第二中津川橋梁
第一から500mほど北上した場所に
もう一度中津川を渡渉するように架けられた橋です
春先でも枯れ枝に覆われてその全貌は確認しずらいです
端の部分で一度橋梁が途切れているようでした
旧恵那峡口駅舎
列車が始発の中津町駅を出ると最初に停車する駅で
1925年(大正14年)北恵那鉄道線中津町 - 苗木間に新設開業しました
恵那峡への観光客誘致のため、地元住民の請願で開業した駅であり、
近くには恵那峡への観光船の乗船のりばが存在していたそうです
1962年木曽川橋梁の橋脚かさ上げ工事のため、
恵那峡口駅は山之田川駅側へ約130m移転がされています
移転後この駅舎は観光船の待合所として使われていたようです
木曽川橋梁
1924年(大正13年)に建造された全長134m 5連から構成される長大な橋で
中央の1連は単線下路ダブルワーレントラス、その他4連は単線上路プレートガーダーとなっています
橋の袂には、かつての枕木と思われる木片が見られました
北恵那鉄道線は1978年(昭和53年)9月に廃止されましたが、本橋梁は取り壊されることなく
現在もほぼ当時の姿をとどめています
上地橋梁
林道を進むと山之田川を越える橋梁が見えてきます
車道からは十数メートル上を走っていたようです
廃線跡はさらに山深くへと続いているようでした
廃線後北恵那鉄道は北恵那交通に改称 中津川市を中心に
路線バス、観光バス、タクシー、トラックを運行していましたが
2013年までに路線バス以外の事業を他社に譲渡し撤退
現在は路線バス専業となっています
#廃墟 #廃線

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