城ヶ島・馬の背洞門 神奈川県三浦市三崎町城ヶ島
Автор: なにぬねの
Загружено: 2026-01-17
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城ヶ島・馬の背洞門
神奈川県三浦市三崎町城ヶ島
no.0074
城ヶ島は三浦半島の南端
三浦市の一部であり
平成3年(1991年)地方自治法の改正により
自治会などに法人格を認めるようになった
認可地縁団体の城ヶ島区により
自治の一部が行われている
鎌倉期の歴史書『吾妻鏡』にも
源頼朝や源頼家らが遊興で
三浦・三崎を訪れており
毎年春には城ヶ島の桜を観覧した
とも言われる
永正12年(1518年)には
伊勢宗瑞(北条早雲)が
相模三浦氏を滅ぼした後に
三崎城を再興しており
同じく城ヶ島で桜を愛でたとも
言われる
相模三浦氏は宝治元年(1247年)の
宝治合戦で滅亡した
三浦氏の傍流で
佐原氏出身の三浦盛時により
再興された
後北条氏に滅ぼされた
最後の当主・三浦道寸(どうすん)こと
三浦義同(よしあつ)は
山内・扇谷上杉氏に従っていたが
永正13年(1516年)の滅亡時には
相模三浦氏の一族郎党は
根切りと呼ばれる皆殺しに遭い
海は血で赤く染まり
油を流したように見えたため
「油壺」という地名がついたという
このように中世から
記録に残る城ヶ島の気候は
北太平洋暖流の黒潮から
吹き寄せる海風で
年間通して暖かく
令和7年(2025年)の猛暑では
海風により温度が抑えられ
住みやすい地として
広く知られた
地質は東西で異なり
東部は約550万年前〜450万年前に
堆積した火山砕屑岩の一種で
多孔質・暗色のスコリア質砂岩
西部は約1,200万年前〜830万年前の
火山灰が固まった凝灰岩シルトと
スコリア質凝灰岩が交互に堆積した
三浦層となっている
そして島全体は
高さ30mほどの台地となっているが
島の南岸は風や波の侵食による
海食崖(かいしょくがい)が形成され
特に東部海岸は人が近づけないほど
激しく侵食されている
この侵食作用により
馬の背洞門が形成されるとともに
人が近づけない東部海岸は
カツオドリ目のウミウやヒメウ
ペリカン目のクロサギなどの
繁殖地となっている
このような
天然の要塞である城ヶ島は
相模三浦氏を根切りにした
後北条氏も攻めあぐね
三浦十人衆と呼ばれた
亀崎、鈴木、下里、三富(みとめ)、出口の
姓を冠した城ヶ島の頭10名は
鎌倉の名刹、建長寺・円覚寺の仲介で
ようやく従ったとされる
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