噂の女 1954年製作 溝口健二監督 出演者 田中絹代 中村雀右衛門 久我美子 進藤英太郎 浪花千栄子
Автор: 古典邦画集PD
Загружено: 13 дек. 2024 г.
Просмотров: 25 213 просмотров
噂の女 1954年製作
監督 溝口健二
出演 田中絹代 中村雀右衛門 久我美子 進藤英太郎 浪花千栄子
☆チャンネル登録はこちら
/ 古典邦画集pd
噂の女 [DVD] https://amzn.to/3PwJCoC
京都島原の廓でただ一軒太夫の置屋とお茶屋を兼ねた、井筒屋の女将初子は、夫亡き後女手一つで太夫、仲居、女中達を切廻して商売しているが、東京の音楽学校でピアノの勉強をしていた一人娘雪子が、愛人と婚約するばかりになっていたのに突然自殺を計ったので、東京へかけつけて彼女を家へ連れ戻した。
帰宅した初子は廊の若い医師的場に雪子の診察を頼んだが、彼女は頑なにそれを拒むのだった。
しかし物分りのよい的場と雪子は親しく語り合った。
その夜遅く太夫の一人薄雲が胃ケイレンをおこし、的場が手当てをしたが、その後で彼と二人切りになった雪子は、母の商売に疑問を持って居り、それは自分の恋の破れたのも相手が家の職業を知って破談にしたためだからだと打明けた。
的場からこのことを伝えきいた初子は先祖代々の職業が娘の幸福の妨げになったという事実に大きな衝撃をうけた。
初子は的場に対して恋を覚え、彼のための病院を買ってやり、彼と結婚しようとする希望であった。
一方組合役員の原田は、初子との結婚を迫っていたが、彼女は勿論断っていた。
ところが的場と雪子との心はその間相寄って、ある日能の見物に行った二人は接吻した。
これを知った初子の心は嫉妬に燃え、逆上して雪子に辛く当るが、やがて的場に病院設立の費用を与えて身を引こうとした。
だがアプレの的場の正体を知った雪子は、汚らわしいこの家の商売から離れることを諦め、的場に捨てられた衝撃から病床に着いた母に代って女将となり井筒屋の切廻しに乗り出した。
恋に破れて死をえらんだ娘。
だが、ささやかな幸福をつかむために帰ってきた母の家で、彼女は何を見たか?
京都の色街・島原で置屋を女手一つで切り盛りしている初子。
東京の音楽学校に通い婚約直前であった娘、雪子が自殺を図り、家へ戻ってくる。
初子は年下の医者で思いを寄せている的場に娘を診せる。
傷心の雪子であったが、いつしか親密となった的場に、母親の仕事のために自分の婚約が破棄されて自殺に及んだことを打ち明ける……。
Filmarksに投稿された感想・評価
あとやっぱり音楽が良い。『赤線地帯』ほどではないけど、この映画の劇伴もスティール・ギターとその下の重いビートが良い感じに気持ち悪かった。能の舞台近くで、絹代が美子と男のやりとりを覗く場面での能の音楽も(今ではよくあるものだけど)かっこよかった。
・・・
おもしろい…
ほとんどのカットで人物が奥と手前を行き来してる。
能楽堂が映る度に医者とお母さんの精神的な距離が離れてって、お母さんはおばば様になっちゃったり、途中で出てっちゃって立場が逆転したりする。
娘がハサミ持ち出してからイッキに構図や繋ぎのテンションが猛烈になって、医者もまた画面の奥へ消えていく…。
映画の始まりとラストを、大きい斜め直線移動でサンドイッチしてるのにも痺れた。
Amazon カスタマーレビューより
母と娘は異なる価値観を持っていて、だから、娘から見ると母とは分かり合えないように見えるし、娘は母の生き方が許せない。でも、母には母の苦しみがあるわけで、様々なトラブルを通して、娘は母を一人の女性として見ることができるようになり、母と娘の和解が生じる。
と書けば、まあ、一応筋の通ったストーリーなのだけれど、女性を搾取する女性という役割の母親と失恋を契機に自殺未遂を起こしたという娘の和解がそんなに簡単に生じるとは思えない。さらに、母親が病気になったからと言って、娘が女将の役割に急に積極的にチャレンジする点もどうもリアリティーがないように私には思える。
でも、この映画が作られた時代の日本人には、娘が急に家族の力関係から飛び出るという方がリアリティーがなかったのかもしれない。そう考えると、時代は変わったな―というのが、素直な感想。
・・・
1954年に製作された田中絹代、久我美子、中村雀右衛門主演の素晴らしいドラマ。舞台の京島原の遊郭の大広間を大勢の藝者を大移動させながら、キャメラもまた大移動していくときの眩暈こそが、溝口独自の映画的快楽である。衣裳も美術も素敵だ。
・・・
図式的な設定にご都合主義の展開と二流映画にしかならない筈の映画に観客を引き込むのは狂言鑑賞シーン以降の田中絹代の迫真の演技(狂言自体も名演の記録映像と言いうるもの)。脚本の欠陥を超えてなお遊郭の女主人の悲哀が伝わってくる。久我美子は儲け役だが、特筆すべきは青年医師役の(七世)大谷友右衛門。品のないお調子者のちゃっかり振りが観客を呆れさせる。しかし世間には案外多いタイプかもしれない。
・・・
いわゆる小津安二郎の平面的な絵に対抗した、奥行感のある立体的な構図。部屋の角を必ずカメラの視野に入れ、手前には小物、人物の奥に映る障子や窓は抜け感を強調するために開け放たれている。
その対角的な構図の両極に配置されたのが、廓をいとなむ母(田中絹代)と娘(久我美子)である。廓で稼いだお金で大学まで行かせてもらったにも関わらず、娘は男に媚びを売る母の仕事が生理的に許せず、憎んでさえいる。
母が飼っている若いツバメと3人で、老いらくの恋をテーマにした『枕物狂』を鑑賞するシーンが登場する。若さに嫉妬する自らを恥じる女を田中絹代が見事に演じきっている。母と娘を天秤にかける男の無節操がきかっけで、結局両者は和解し、いずれ娘が母の仕事を継ぐことになるであろうことを観客に想像させる。
母と娘の確執が続く井筒屋をささえるべく犠牲になっていたのは、貧しい百姓の家から売られてきた遊女たちであることを、溝口は最後に観客に思い起こさせる。娘が母の後を継ぎ、若い娘が井筒屋に面接にやって来る。「わてらのようなもん、いつになったら無くなんねんのやろ。あとからあとから、何ぼでも出きてくんねんな」太夫の悲哀に満ちたボヤキが余韻を残す。

Доступные форматы для скачивания:
Скачать видео mp4
-
Информация по загрузке: