原っぱ（「詩の中の風景 I 」から 一柳彗 ）、How old am I ? , The Woman（「How old am I ?」から、荻久保和明 ) ー 静岡合唱団

指揮：辻正行　ピアノ：武藤礼子
演奏：静岡合唱団　http://shizuoka-choir.blogspot.com

「私の静岡合唱団入団当時の思い出」たんくま（平成13年入団）より抜粋

　そろそろ紙数が尽きてきました（というよりとっくに尽きています。秋山さんから原稿用紙2枚くらい迄」と言われていたことを今思い出しました）。書かなければならないことは枚挙に遑がないほどですが平成15年（2003年）全国大会で荻久保和明の「How old am I」を歌った時のことは書いておかなくてはならないと思います。手術の後、辻先生は一時小康状態を得ておられました。しかし先生はその後の病状の悪化を予期しておられたと思われます。この年の自由曲に先生は「How old am I」を選ばれました。この曲はご存知の様に「あのひとは生きていました」から始まります。曲の中に「サバの味噌煮」を「おいしいね、おいしいねって言って」食べる描写が出てきます。まだいくらか具合の良かった年の初めから春の頃だったか、先生は、日曜練習のお昼休み、長谷通りの「山惣（やまそう）」（残念ながら2019年に閉店）での昼食時にサバの味噌煮を頼んで、ちょっとだけ箸をつけたのでした。重い病気を患っていた時でさえ先生はこんな風に仕掛けつくりを忘れませんでした。本当のプロだったんだと思います。手術も無事済んで、順調な回復を信じていた当時の私たちは、不覚にも先生の「仕掛け」の意味にまだ気づいておりませんでした。そのとき先生が「おいしいね」と言ったかどうかすら・・・・・覚えておりません。

　その後先生の病状は下り坂となり、指導に来ていただけない日々が何ヶ月も続いていました。「辻先生だったらどう歌わせるだろう？」と皆で考えながら練習を続けていました。そして数ヶ月ぶりの最後の「辻練」は「島田山の家」での合宿ででした。だいぶ消耗していたでしょうけれど、先生は午前と午後練習をみてくださいました。みな、先生の言葉を一言も聞き漏らすまいと、これまでで一番集中して臨んだ練習でした。自分たちでもびっくりするくらい、先生の指示でぐんぐん演奏が変わっていって、まさに「辻マジック」でした。この日の練習はCDに焼いて団員に配布されたので当時の団員だったら持っているはずです。聴けばあの日の先生の声に出会えます。

　平成15年（2003年）10月5日の山梨県での関東大会では、辻先生は終末期状態であったにも関わらず本番で振ってくださいました。ギリギリまで舞台袖で酸素を吸入していたと聞いています。聴衆に気取られることのない様に演奏中は酸素なしでした。しかし舞台上の12分間の演奏の自由曲「How old am I」の終盤ではおそらく酸欠状態だったのではないでしょうか。もう腕を振るのが大変な様子でした。その1ヶ月後、11月1日に先生はご家族に囲まれて天国に旅たたれました。

　平成15年（2003年）11月23日、三重県での全国大会は鈴木与志一先生が急遽振ることになりました。きちんと演奏しなければいけないことはわかっていましたが、辻先生の仕込みが効きすぎて「How old am I」の後半になるとみんな歌いながら泣いていました。もちろんコンクールですから技術的な面は厳しく審査されます。残念ながら呼吸が乱れたり、涙で指揮が見えなかったりで万全の演奏とは言えず、大方の審査員の評価は厳しいもので、銅賞という結果でした。しかしその中で音楽学者の磯山先生だけが「胸に迫る大変素晴らしい演奏だった」とダントツ1位の評価を与えてくださったのです。他の審査員は合唱指導者、声楽家、作曲家の先生でした。磯山先生は辻先生が直前に亡くなっていたことなどを、審査の後に初めて知って驚いたそうです。辻先生は多彩な仕掛けと渾身の指導で最期に私たちに念願の「金」を取らせようとしてくださいましたが、ついに先生の期待に応えることができませんでした。しかし常々辻先生が「歌う」は「訴う」ことだとおっしゃっていた様に、私たちの「想い」を、バッハを研究し、宗教音楽についての第一人者であった音楽学者の磯山先生だけが強く感じ取ってくださっただけで十分満足できる結果だと思います。その磯山先生も2018年1月の終わり雪の日に、足を滑らせて転倒し頭を強く打って翌月亡くなりました。もっと長く生きていて欲しかったと思います。

　子供の時からずっと歌が好きでした。いつも歌っているか口笛を吹いているか・・・。きっと「いつかこの星にサヨナラする時」（「いのちの歌」より）でさえ小声で何か口ずさんでいると思います。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（2019年12月4日0時45分）