中島みゆき 作詞・作曲『小石のように』ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)使用
Автор: Kazutaka Tsutsui
Загружено: 2025-09-25
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中島みゆきの『小石のように』を、いつもの1894年製アンティークピアノで弾きました(*´-`)
*ワタクシの編曲譜はこちらから入手できます
https://store.piascore.com/scores/365165
『小石のように』は1979年にリリースされたアルバム《親愛なる者へ》のB面5曲の真ん中です。軽快で聴きやすく、なんとなく箸休めな位置づけっぽく感じられます。ナニしろ前の曲が絶望の先を見据えたような怖い怖い切れ味の『ダイヤル117』ですから、も〜、なんちゅ〜曲順なのよ〜😅 #小石のように #親愛なる者へ #中島みゆき
<山をくだる流れにのせて
まだ見ぬ景色あこがれ焦がれ
転がりだす石は16才
流れはおもい次第>
守られている環境から足を踏み出すときのワクワク感、それを上流から川をくだるナニかに例えるのは取り立てて珍しい着想ではないと思いますが、最後の<流れはおもい次第>の最後で明るいメジャーな曲調からふっと翳るようにマイナーで終えるところがニクい技術。そりゃ、ワクワクだけでなく不安もよぎるのは当然の感覚でありま〜す。
<旅をとめる親鳥たちは
かばおうとするその羽根がとうに
ひな鳥には小さすぎると
いつになっても知らない>
いつになっても親は親で、スマートな子離れなんぞ簡単にできる親ばかりじゃございませんことよ。ここで唐突に<小石>が<ひな鳥>に変わっていることをあげつらうのはヤボ、曲のラストでこの伏線が回収されるんですよ〜💡
<おまえ おまえ 耳をふさいで
さよならを聞いてもくれない
とめどもなく転がり出して
石ははじめて ふりむく>
<ひな鳥>の巣立ちは巣からさっそうと飛び立つようなカッコいいモンじゃなく、それこそ巣からドサッと落っこちてますよね〜。守られているときにはともすればその環境のありがたさを忘れがちになり、そこから離れてその本当のありがたさを知る、というのは言い古された人生訓ではありますが、言い古されるということはワリとみんなそんなモンだということで。
<川はいつか幅も広がり
暗く深く小石をけずる
石は砂に砂はよどみに
いまやだれにも見えない>
夢を見て希望を抱いていてもそんな夢なんぞ簡単に実現するワケもなく、それが度重なると身も心も削られて気づかぬうちに夢の希望も小さくなってしまうのがワリとフツーにある人生なのではないでしょうか。社会にもまれて角を削られて丸くさせられ、それはとりもなおさず自分自身の存在価値を見失ってしまうことに他ならない、というのも人生の定型として言い古されていますが、言い古されるということはワリとみんなそんなモンだということで(2回めw)。
<おまえ おまえ 海まで百里
坐り込むにはまだ早い
石は砂に砂はよどみに
いつか青い海原に>
ただただ流されるままでいれば自発的に動くなんてぇ面倒はしなくて済みますし、自分自身の存在価値なんてあってもなくても変りゃしないわ〜、という姿勢は嘆かわしく一段劣って見られがちでしょうが、それはそれで一つの見識というか処世術として立派だと思います。それでも人は長く遠い人生を生き続けざるを得ないワケで、そんな人たちを暖かく見守り続けるこの曲の着眼点、いかにも中島みゆきであります。
中島みゆきにはこの手の名も知られぬ存在に対する応援ソングが少なくなく、デビュー後50年もトップを走り続けているということは、励まされたってそんなの邪魔でしかないからただただ静かにテキトーに生きさせてほしい、と思っているような人たちにも伝わる「ナニか」があるのでしょうね。これぞ詩作における高度な「抽象化」のなせるワザで、具体的でないからこそ受け取り側の心のあり方に応じて姿を変えられて、その結果まるで自分自身のために歌われているかのように具体的に受け取ってもらえるんですよね〜。ホントに人間心理って興味深くてたまらないです✨
<おまえ おまえ 海まで百里
坐り込むにはまだ早い
砂は海に海は大空に
そしていつかあの山へ
砂は海に海は大空に
そしていつかあの山へ>
そっか、<あの山へ>飛び立てるのは成長した結果の<ひな鳥>ですね。これは<小石>のはなしではなく、<小石>の旅にたとえた<ひな鳥>のはなし。そして、<小石>とは「流される存在」すなはち自分の意思でなく環境に運ばれてしまう存在の象徴であり、<ひな鳥>とは「自立すべき存在」すなはち守られてきたが羽ばたく意思がある存在の象徴。この歌詞では「未熟さ」という単語で表現される状態を<小石>と<ひな鳥>という別の切り口をもって取り上げており、最後に伏線の回収という形をとって二つの切り口が重なるように構成されている、まことに良く構成された歌詞だと思います。
しかも、<あの山>とは<流れ>が始まるところでもあり、それはまさにまさに<小石>の生まれ故郷でありま〜す。これは中島みゆきの歌詞に頻出する「輪廻転生」に他ならず、万物は流転して循環するという世界観にもつながる、実は箸休めに見せかけた大きな歌詞でもあったんですぞ💡💡💡
<砂は海に海は大空に
そしていつかあの山へ>
この動画で使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。
古典鍵盤楽器奏者/筒井一貴 つれづれ草紙:http://bergheil.air-nifty.com/blog/
"LIKE A PEBBLE FLOATING DOWN(1979)" poem & music by Miyuki NAKAJIMA on an antique Bösendorfer piano with Viennese action (1894, 85keys)
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