「さみしくなるのはこれから」30年以上続く七尾市の惣菜店「じゃ~ま」能登地震で奪われた人々の営み (2024年2月6日)
Автор: 石川テレビ公式チャンネル
Загружено: 2024-02-06
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能登半島地震から5週間あまり。地震は能登の人々の日常を一変させました。
イットで去年放送した、七尾市の総菜店。30年以上続くこの店も地震で日常を奪われました。
最大震度6強を観測した七尾市。
地震発生から1カ月が経った現在もおよそ1万3300世帯で断水が続くなど甚大な被害が出ました。
「こんにちは、お久しぶりです」
「お久しぶりです、お疲れ様です」
「無事でよかった」「おかげさまで、私は無事」
蠏早苗(かに さなえ)さんです。
七尾市で35年にわたり愛されてきた惣菜店「じゃ~ま」。
この店をずっと1人で切り盛りしてきました。
▼蠏さん
「1月の1日2日はお店に来ないで3日から準備に入って4日にオープンしようと思っていたらこんな感じ」
あの地震があった日、蠏さんは自宅で被災しました。
▼蠏さん
「家にいたの、だから助かったね、命。ここ(厨房)にいたら危ないよね。普通なら午後4時過ぎまでお店にいるからね。命拾いした」
店は外壁やドアが地面に落ち、応急危険度判定では「赤紙」危険と判定されました。
さらに厨房は…。
▼蠏さん
「すごいでしょう。冷蔵庫もこれだけ動いてる」
Q壁にくっついていた?
「そうそうそう。これもうフライヤーが倒れて新しい油に入れ替えたのが全部流れてしまった」
Q床は油まみれ?
「そうそうそう。覚えているじゃ~まと違うでしょう」
店にあった皿もほとんどが割れてしまいました。
▼蠏さん
「十何年前(2007年)のあの時も震度6強とかって言っていたけどずっとひどい」
Qレベルが違う?
「家にいても思ったもん、家が壊れるわって」
地震があった日の夜に店を訪れ、蠏さんはある決断をしました。
▼蠏さん
「ああ、もう終わったなって思った。もうこの状態じゃ(店を)続けられないと思った」
被災した店を見て、35年続けてきた店を閉める決意をしたのです。
ただあれから1カ月経った今もいつもの癖が抜けないといいます。
▼蠏さん
「朝、いつも3時ごろ目が覚めるんですよ。『ああ、(店に)行かんでいいんや』と思ってでもなかなか寝れないのね」
記者と話すときも気が付けばいつもの定位置。
しかし、その風景はもう戻っては来ません。
▼蠏さん
「クラウドファンディングってあるでしょ。(近所の)七尾高校を卒業した生徒さんたちが『おばちゃん、それするから店せんけ?』って言われたんだけど1回ここが潮時かなって思ったらもう1回って気にはなかなかなれないね。『もういいぞ』って誰かが言ってくれたんだと思う」
地震からちょうど1か月後の今月1日。店の機材を撤去する作業が行われました。
▼蠏さん
「こうやって離れてみると余計すごいもんね。これも縁があるなあ、これだけとっておこうかな。これだけよ、最初にお店を開けた時から割れていないの」
Q35年割れていない?
「すごいでしょ、これだけだわ」
この日は、常連客が続々と蠏さんの元に駆けつけました。
▼常連客
「買い物せんでも『早苗さ~ん!』って言っとったから。やっぱりさみしいよ、本当に」
さらにこんな人も…。
「おばちゃん、みんな心配しとったよ。おばちゃん大丈夫かって。おばちゃんよかった…。(お店は)もうせんが?」
「最後までありがとうね」
「ありがとう、おばちゃん。また機会あったら食べさせてよ。」
「わかった、食べたいのあったら言って!」
「全部やわ!」
「またどこかで会おうね行ってらっしゃい、ありがとう」
想い出がつまった店は、たった2時間で大方、片付けられました。
▼蠏さん
「あーあ、これでほとんど終わったね。なんか、あっけないね」
多くの人に愛された「じゃ~ま」。今でも店を続けてほしいという声はあるそうです。
▼蠏さん
「いろんな話を持ってきてくださる。『もうちょっと(店を)して』とかそんな感じで言ってくださるんだけど、もう店を構えてやることは無理だと思う。ありがたいよね、そんな話を色々持ってきてくださるって。私は幸せ者やと思う」
多くの人の命を奪い、家を奪った地震は、当たり前の日常をも消し去ってしまいました。
▼蠏さん
「私ね、もっとさみしくなるのはこれからだと思う。今まではお店を片づけなきゃとかってあったじゃない。それがこれからなくなるから多分さみしくなるとしたらこれからやなと思う」

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