坂東三十三観音巡り11日目 28番龍正院→27番円福寺→29番千葉寺→30番髙蔵寺
Автор: たろーさん
Загружено: 2019-06-28
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日本百観音めぐり「坂東三十三観音」の旅は11日目を迎えました。
成田駅近くのホテルに前泊し、目指すは28番札所の「龍正院」です。
続いて27番札所「円福寺」、29番札所「千葉寺」、30番札所「高蔵寺」
の順で訪問いたします。
ウオッセ21では海鮮丼と、名物の「なめろう」をいただきました。
動画をご覧の皆さまが、旅行気分を味わっていただけたら幸いです。
【龍正院】
滑河山龍正院は、坂東三十三観音霊場の第二十八番札所にして、利根川の本流足下に洗い、
西北遥かに筑波の秀峰を望む水と緑豊かな田園にかこまれた霊地である。
ご本尊は御丈一寸二分の十一面観世音で、後に定朝作の一丈二尺の観音像の
胎内に納められ、通称滑河観音の名で世に知られている。
仁明天皇の承和5年(838)の草創、慈覚大師の開基と伝えられる。
この年の5月、当地方は時ならぬ冷害にみまわれ、為に穀物は実らず
人々は飢えに横たわるものが続出する有様であった。
城主将治公はこの悲嘆を見聞され、金銭五穀を施し、更に観世音を念じられて
法華経の読誦をなされたところ、結願の日に「朝日姫」と名乗る少女があらわれ、
「汝の願いごとかなうべし」と小田川辺に案内して忽然と姿を消した。
河中を見ると、一人の老僧が船を浮かべ、衣を網になしてひいたと思うや、
小さな観音像をすくいあげて将治公に与え、「この渕より湧く水をなめよ」と教え去った。
そのお告げのとおりにし、尊像を奉持し堂宇を建てお祀りすると、気候も回復し、
五穀も実り人々は蘇生の思いをしたという。
【円福寺】
飯沼観音・円福寺は、坂東三十三ケ所観音霊場二十七版札所で、
本尊は十一面観世音菩薩が奉安されています。
銚子の繁華街や商店街は、飯沼観音を中心に形成され、
門前町として繁栄してきました。
平成21年には、新たに五重塔が建立されました。
【千葉寺】
709年(和銅2年)、この地を訪れた東国巡錫中の行基が十一面観音を安置したのに始まり、
聖武天皇の命により千葉寺と称したという。
1160年(永暦元年)に堂宇を焼失し、千葉氏の居城である亥鼻城(千葉城)に
近いことから千葉氏の祈願所となった。
1950年代の発掘調査で、旧寺の境内は約126m四方だったと推定され、
奈良時代の瓦が出土していることから、永暦年間以前にはここに大伽藍があったと考えられる。
山門は1841年(天保12年)に再建、観音堂は1828年(文政11年)に再建したが、
第二次世界大戦で空襲で焼失、1976年(昭和51年)に再建された。
本尊は十一面観音であり、坂東三十三観音霊場第29番札所である。境内には瀧蔵神社がある。
【高蔵寺】
高蔵寺は、用命天皇の代、徳儀上人が修行を積んでいたところに老翁が現れ、古木を指さした。
そこに四寸ほどの観音像が安置されていたので、里民と共に堂宇を建立して祭ったのが
寺の縁起であります。
観音の霊験は矢納郷の猪野長官に現れます。40歳になっても子のない長官が願をかけ
祈ったところ一女を授けられた。娘は20歳を過ぎても良縁がなく再び観音さまにお祈りしたところ、
結婚、めでたく男子を得た。これぞ「藤原鎌足」と言う鎌足生誕の伝承があります。
鎌足はこの観音様の霊験の偉大なることを深く尊崇、お母様への感謝も合わせて、
白雉庚戌年(650)7月23日本堂等沢山の建物を建立し地域を治めました。
残念ながらこれらの建物は火災に遭い、大永6年(1526ー室町末期)に再建されましたのが
現在の本堂であります。
仁王門・鐘楼堂は江戸時代に再建されたとつたえられています。
本堂、仁王門・鐘楼堂は昭和51年2月17日付けにて木更津市指定文化財に指定されております。
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