【朗読】サイレントプリズン

あのチラシを見た瞬間、胸の奥で何かが音を立てて崩れた。

《深夜帯の騒音に関するご注意》

白黒の文字なのに、血の気が引くほど鋭く見えた。

まさか、自分のことだろうか。

配信は毎日、深夜まで続けていた。
歌ったり、リクエストに応えたり、雑談したり。
深夜だからこそ人が集まり、フォロワーも増えていった。

その日の昼、管理会社から電話がかかってきた。

「お宅ではありませんか？ 最近、深夜帯の歌声の苦情が入っておりまして……」

その一言で、心臓が止まりそうになった。
情けないほど声が震え、言い訳のような返事しかできなかった。

電話を切ったあと、手も足も冷たくなった。
それ以来、家の電話が鳴るだけで、胸がドクンと跳ねるようになった。

そして私は、歌う場所を失った。

　　　　　＊　＊　＊

「……ここしか、ないな」

半ばヤケになりながら、クローゼットの扉を開いた。

とても歌う場所じゃない。
暗い。狭い。湿気までこもる。

けれど——
何もしなければ何も守れない。
配信だって、夢だって、せっかくつながったリスナーだって。

私は百均で吸音材を買いあさり、
クローゼットの壁にぎこちなく貼り付けた。
その小さな空間だけが、私の“スタジオ”になった。

でも、ひとりで扉を閉めると、気づいてしまう。

——ここは、サイレントプリズンだ。

誰もいない静かな牢獄。
防音どころか、心にまで鍵がかかるような場所。

それでも歌いたい。
そうしないと、私は私でいられなくなる。

　　　　　＊　＊　＊

深夜十二時。

日付が変わったばかりの静けさが、部屋にゆっくりと沈んでいく。

いつものように機材をつなぎ、アプリを起動する。
照明は小さなランプひとつだけ。
クローゼットの空気だけが、ぼんやりと明るい。

準備を進めるほどに、胸の奥がざわつきはじめた。

クレームが来たらどうしよう。
また管理会社から電話が来たら——。
近所の誰かが壁を叩く光景まで浮かんでしまう。

私は、自分の声を恐れていた。

声を出す瞬間、無意識に息を飲み込んでしまう。
全力で歌いたいのに、思い切り響かせたいのに、声量はいつもの半分。

高音は喉の奥で押し殺し、かすかな息に変えていく。
何百回も練習したサビでさえ、思いきり出せない。

私の声は、誰に迷惑をかけてしまうのだろう。
その不安ばかりが、狭い空間に反響していく。

それでも、配信画面にはいつもの軽い反応が流れはじめた。
深刻でも派手でもない、ただふわりと寄り添うような温度の言葉たち。

小さな文字のひとつひとつが、
暗闇の中で灯りのように光って見えた。

——届いてる。
こんな狭い世界からでも、確かに誰かに届いている。

　　　　　＊　＊　＊

私は息を吸い、そっと声を重ねた。
震える喉から、閉じ込めていた想いが旋律になって溢れ出す。

ほんの少し声を張った瞬間、
怖さよりも自由の方が大きくなる気がした。

——歌うことは、生きること。

クローゼットの暗闇が、すこしだけ青く見えた。
扉の隙間から漏れる微かな光が、
夜空に散る星のように浮かんでいた。

　　　　　＊　＊　＊

配信が終わり、機材の電源を落としたとき——
私は初めて、はっきりと願った。

「いつか……この檻から出たい。
　思いっきり歌いたい。
　誰にも遠慮しないで、胸の全部を響かせたい——」

息を吸い、クローゼットの天井を見上げる。

ここは牢獄かもしれない。
でも同時に、私が“声を失わずに済んだ”場所でもある。

そして私は気づく。

檻を作っていたのは、世界じゃなくて、自分自身だ。

だから、少しずつでいい。
歌い続ける限り、このクローゼットの扉は、いつか必ず開く。

今はまだ暗いけれど——
その先にはきっと、光がある。


楽曲へのリンク
「サイレントプリズン」
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