【現代日本音楽の父】A. チェレプニン【伊福部昭生みの親】
Автор: 不老如若──不老人間ラヂオ
Загружено: 2024-06-13
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【現代日本音楽の父】A. チェレプニン【伊福部昭生みの親】生誕125周年
同じくアニヴァーサリー・イヤーを迎えし伊福部昭の「生みの親」こそ、彼より十五歳年嵩であった「アレグザンダー・チェレプニン」である(確かに紛う方なきロシア系ではあれ、彼の場合は厳密なる意味にて「ロシア国家」外の人と規定すべきであり、斯様に表記する)。つまり本年は チェレプニン生誕125周年に当たる。先述の通り、彼チェレプニンが本邦へと滞在していなければと仮定するなら、我々は「ゴジラの作曲家」とは絶対的に邂逅してはいない。伊福部もきっと、宮内省技官→農林省(現・農水省)林野局(49年に林野庁へと改組)にてささやかなポストを得る在野の音楽愛好家に止まっていたであろう。
そう慮るのであれば、所謂「戦間期──戦後期」における本邦西洋音楽の一大潮流を築きたる「礎」こそ、彼アレグザンダー・ニコライエーヴィチ・チェレプニンであるを我々はしかと肝に銘ずべきである(蛇足ながら、彼を「ロシア人」と規定してカナ表記するなれば、アレクサーンデル・ニカラーイェーヴィチ・チェレプニーンとすべきであろう)。
二十世紀初頭にあって彼は、最近的本邦に準えるなら小泉文夫、細野晴臣と比すべき民族音楽愛好家・研究家であった。ゆえに彼は、往時の池内友次郎らに代表される「フランス風」アカデミズムこそ本流と看做されし時代にあって、本来「自らの血肉」たるべし「民族的音楽」に範を求めよとて、伊福部や早坂文雄らを薫陶訓育したのである。言わば彼に見出されたのが伊福部らでありまた、彼が存在しない限りにおいて、例えば戦後世代を牽引する團伊玖磨や黛敏郎、芥川也寸志らも決して生まれ来るなぞあり得なかっであろう。
そのような意味にても彼は「日本音楽の父」なのである。
斯く彼が、実に未だ若かりし頃の交響曲第一番(この作品を巡っては、打楽器のみにて描かれる第二楽章など音楽史的にも枢要である)、そして二十年後たる「ポストWW II」に編まれし交響曲第二番をお届けしよう。
演奏は今日「支那中共」を代表せしむる水藍(ラン・シュイ)そして彼が導き育てたるシンガポール交響楽団のそれにてお送りしたい。付言するなら、このコンビはチェレプニンの交響曲全四作をBISレーベルに録れている。
00:00 オープニング:ピアノ協奏曲第五番op.96(1963)第二楽章
小川典子(Pf)ラン・シュイ&シンガポール響
04:13 交響曲第一番op.42(1927)第一楽章
11:14 交響曲第一番op.42(1927)第二楽章
13:55 交響曲第一番op.42(1927)第三楽章
22:24 交響曲第一番op.42(1927)第四楽章
ラン・シュイ&シンガポール響
28:58 交響曲第二番op.77(1947-51)第一楽章
39:05 交響曲第二番op.77(1947-51)第二楽章
44:04 交響曲第二番op.77(1947-51)第三楽章
48:24 交響曲第二番op.77(1947-51)第四楽章
ラン・シュイ&シンガポール響
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