聖母マリアの被昇天「苦労をいとわず、人を愛し、神をたたえた」【こうじ神父・取って食べなさい】
Автор: こうじ神父「取って食べなさい」
Загружено: 2025-08-15
Просмотров: 175
(ルカ139-56)聖母マリアの被昇天「苦労をいとわず、人を愛し、神をたたえた」【こうじ神父・取って食べなさい】
聖母マリアの被昇天の祭日を迎えました。小さなことですが、去年まで「聖母の被昇天」と呼んでいたように思いますが今年の典礼暦を見ると「聖母マリアの」とわざわざ書いてあることに目が留まりまして、今年から何かしら変更があったのか、それとも昔から「聖母マリアの被昇天」だったのを気付かずにいたのか。知りたいところです。
さて福音朗読はマリアがエリサベトを訪ねる場面です。エリサベトが住んだのは「エン・カレム」という町だったとされていますが、マリア様の住むナザレからエン・カレムまで、何キロあったと思いますか。車が走る現代のルートを辿っても、およそ150km離れている町です。
福江島の中で150km離れた場所を探すことはできません。福江港から長崎の大波止まで約100kmです。それでも足りません。長崎駅から150kmとなると、博多駅が似たような距離になります。それを仮に、ろばに乗せてもらって旅をしたとしても、150km離れた場所はそう簡単でなかったことは容易に想像できます。それでもマリア様は、身重のエリサベトを訪ねて行くことをためらいませんでした。
私たちは、「親戚の家に果物を届けてきて」と言われて、もし親戚の家が150km離れていたら「分かった」とすぐ返事ができるでしょうか。もし自転車のような乗り物しかない時代だったら、本当にお使いを引き受けるでしょうか。私だったら、郵便局に行って果物を送るかもしれません。
しかしマリア様は、苦労を決していといませんでした。150km離れたエリサベトに挨拶して、姉妹のように心を通わせたのです。苦労を苦労と思わず、エリサベトを助けてあげたい、その一心で訪ねていきました。天に上げられた聖母マリアは、苦労を決していとわない方であり、苦労を苦労と思わない方であった。そう言えるかもしれません。
今日はこの一点を、皆様と分かち合いたくて説教を考えました。中田神父もたまに、井持浦教会や浜脇教会のミサに行きますが、井持浦教会まで片道31km、これを150kmに置き換えると、あらかじめ二往復してから教会に出発してようやく150kmです。浜脇教会までは片道13kmですから言わずもがなです。苦労を決していとわずに、150km離れた教会にミサに行けるだろうか。マリア様のお手本を前にすれば、司祭が七人もいて、それぞれに努力していると言っても全然足りないのかなと考えました。
今回も、小教区統合の話をしたいのですが、離れた兄弟姉妹が、苦労をいとわず、苦労を苦労と思わず交流するなら、私たちは今日の聖母マリアの被昇天にとてもふさわしいあずかりかたをしていることになると思います。マリア様がエリサベトに挨拶に行く間の困難を思えば、私たち福江小教区と浜脇小教区が一つの家族となって神さまをたたえることは、困難があってもすばらしい価値ある働きではないでしょうか。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。」(1・46)危険と隣り合わせの旅を、何日もかけてやってきた聖母マリアの口から出たことばは主をあがめ、神を喜びたたえることでした。私たちにも小教区統合が近づいていまして、それは協議会を何回も重ねて積み上げた結果であり、もしかしたら危険と隣り合わせの結果かも知れません。
それでも私たちの第一声が、「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」でありますように。苦労を乗り越えた先で、「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」(1・48)となることを願っています。神が、目をかけてくださったことは、どんなに困難なことでも、実現するに違いありません。
Доступные форматы для скачивания:
Скачать видео mp4
-
Информация по загрузке: