エイジアが復活。ジェフ・ダウンズ、2025年4月の来日公演に向けた展望とジョン・ウェットンへの想い
Автор: Yahoo News Japan
Загружено: 9 мар. 2025 г.
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エイジアが復活。ジェフ・ダウンズ、2025年4月の来日公演に向けた展望とジョン・ウェットンへの想いック界の伝説的スーパーグループ、エイジアが2025年4月に日本公演を行う。
“ASIA Heat of the Moment JAPAN Tour 2025”と題されたこのツアーは東京・大阪の“ビルボードライブ”を舞台とするもの。1980年代からロックの歴史を彩ってきた強者たちが繰り広げるステージ・パフォーマンスを間近で体感出来る貴重なチャンスだ。
今回の来日ラインアップは創設メンバーのジェフ・ダウンズ(キーボード)に加えてイット・バイツやフロスト*などで活躍してきたジョン・ミッチェル(ギター)、再結成U.K.やプラネットXでの技巧派プレイで知られるヴァージル・ドナティ(ドラムス)、そして2024年の北米ツアーでのパフォーマンスで観衆のハートを鷲掴みにしたハリー・ホイットリーという強力な布陣だ。「ヒート・オブ・ザ・モーメント」「ドント・クライ」などのクラシックスが彼らのテクニックとミュージシャンシップによってどんな新たな生命を吹き込まれるか、期待が高まる。
来日公演を前にして、ジェフ・ダウンズがインタビューに応じてくれた。彼は日本でのライヴへの抱負に加えて、彼のもうひとつのバンドであるイエスでの活動、2017年に亡くなった盟友ジョン・ウェットンとの思い出についても語ってくれた。
ASIA Japan Tour e-flyer / courtesy of Billboard Live
<エイジアの最もポピュラーなヒット曲の数々をプレイする>
●新生エイジアは2024年の夏に北米でツアーを行いましたが、ファンの反応はどのようなものでしたか?
どの公演でもみんなエイジアの音楽に敬意を持って、新しいラインアップに熱狂的に反応してくれた。素晴らしい経験だったよ。ジョン・ウェットンが亡くなって、バンドの活動を続けるべきか悩んだこともあった。でもジョンはきっとそれを望んでいたと思う。
●その前にエイジアとしてツアーしたのは2019年、イエスとの北米“ロイヤル・アフェア・ツアー”ですか?
うん、その通りだ。私は毎晩イエスとエイジアの両方でプレイしたんだ。体力的には疲れたけど、とても充実したツアーだった。スティーヴ・ハウもイエスだけでなくエイジアのステージに飛び入りして、楽しかったよ。ツアーにはカール・パーマーやジョン・ロッジも参加して、素晴らしい経験だったね。さらに2017年にはジャーニーともツアーをした。このときはビリー・シャーウッドがベースとヴォーカル、カール・パーマーがドラムス、サム・コールソンがギターだった。2019年はロン“バンブルフット”サールがギターとヴォーカルを担当した。メンバーは交代しても、エイジアの音楽が聴き継がれることは喜びだよ。2025年のエイジアも同じぐらい、あるいはそれ以上にパワフルだ。ハリー・ホイットリーはジョン・ウェットンのスタイルと精神を受け継ぎながら、自分の個性を持っている。
●エイジアのメンバーにはどんな要素を求めますか?
決してアルバムと同じようにプレイすることは求めていないんだ。ただ、エイジアの音楽をリスペクトして、その上で独自のテイストを加えてほしい。これまでのメンバーは皆そうしてきたし、今のメンバーもそうしている。
●ハリー・ホイットリーはYouTubeで見つけたそうですが、彼に声をかけることにしたきっかけは何ですか?
YouTubeではなく、ツイッターだった気がするけど、知り合いが教えてくれたんだ。エイジアの曲をプレイしていて「凄い!」と思ったね。「誰だ、この人は?」と、背筋がゾッとした。ぜひ一緒にやってみたいと思ったよ。そのときちょうどジョンに捧げるトリビュート・コンサートが行われることになった(2023年8月3日、サセックス州の“トレイディング・バウンダリーズ”リゾートで行われた“John Wetton, An Extraordinary Life”コンサート)。それでハリーに声をかけてみることにしたんだ。リック・ウェイクマン、スティーヴ・ハケット、ビル・ブルーフォードらが集まって、最高のトリビュートになったけど、最後にエイジアの曲をプレイするパートがあって、大変な盛り上がりだった。それでもう一度エイジアとしてツアーをしたいと考えるようになったんだ。トリビュートではイエスのジェイ・シェレンがドラムスをプレイしたけど、北米ツアーではU.K.でジョンと共演したヴァージル・ドナティに声をかけることにした。彼は高度なテクニックを持ったドラマーだ。もちろんカール・パーマーもテクニカルなプレイをこなすけど、顔面に叩きつけるロックンロール・ドラマーでもある。どちらのスタイルも大好きだよ。今回はヴァージルが叩き出すエイジアの音楽の新しい魅力を楽しんでほしいね。
●ギタリストのジョン・ミッチェルはプログレッシヴ・ロックのファンにはお馴染みの名手ですね。
ジョン・ミッチェルはウェットン/ダウンズ:アイコンでジョン・ウェットンと私と共演していたし、エイジアの曲を熟知していた。今のエイジアは4人のうち3人がジョンと一緒にやったことがあるんだ。ハリーはジョンと会う機会がなかったけど、もしハリーが歌うのを聴いたら、きっと太鼓判を押すだろうね。ハリーはステージで、ジョンがエイジアで使っていたベースを弾くんだ。日本にも持っていくよ。
●4月の日本公演ではどんな曲をプレイしますか?
エイジアの最もポピュラーなヒット曲の数々をプレイするよ。お客さんが求めるものを提供したいんだ。ニュー・アルバムを全曲演奏したら一部のマニアは喜ぶだろうけど、「あの曲をやらなかった...」と不満を漏らすファンが必ずいる。だから彼らの求めるものを提供しながら、いくつか変化球を投げようと考えているんだ。北米ツアーとまったく同じにはならない。ちょっとしたサプライズも交えるつもりだよ。日本に行く直前、ジョン・ウェットン・トリビュートをやったのと同じ会場“トレイディング・バウンダリーズ”で3日連続ライヴをやるんだ。初日は『詠時感〜時へのロマン』(1982)、2日目は『アルファ』(1983)、3日目は『アストラ』(1985)を全曲演奏して、グレイテスト・ヒッツもプレイする。だから初期3枚の曲はどれもプレイ出来る状態なんだ。公演ごとに少し曲目を変えるかも知れないし、同じ曲であっても異なった要素を取り入れていくよ。『アストラ』の「ラヴ・ナウ・ティル・エタニティ」「サスピション」なんかはライヴで演奏したことがなかったけど、その魅力を再発見しているんだ。もちろん「ヒート・オブ・ザ・モーメント」「ワイルデスト・ドリームズ」なんかは自分にとって重要な役割を果たしてきた曲だし、いつプレイしても楽しい。
●その逆に、ライヴでプレイすることに興味が湧かない曲はありますか?
うーん...『フェニックス』(2008)『オメガ』(2010)『XXX』(2012)からの曲はあまりライヴでやる機会がなかったけど、それは嫌いだからではなく、初期のヒット曲をプレイすることで、やる時間が減ってしまうんだ。ただ「アン・エクストラオーディナリー・ライフ」とかは私たちの新しい代表曲のひとつとして、いつでも熱狂的な反応が返ってくるよ。いつか機会さえあれば、どの曲もすべてステージで再演してみたいね。
●1983年、エイジアの初来日時にジョン・ウェットンの代役として参加したグレッグ・レイクが「ドント・クライ」が嫌っていて、歌うのを拒否したという話がありましたが、あなたはどのように受け止めましたか?
グレッグは「ドント・クライ」がポップでストレート過ぎると言っていたね。まあ、彼がエマースン、レイク&パーマーでやっていた音楽と較べると、大抵の音楽はストレートに感じるのは仕方ないよ。とは言ってもグレッグだって「夢見るクリスマス」や「ラッキー・マン」みたいな曲をやっていたんだし、同じようなものだと思ったけどね。それに“拒否した”というほど強いものではなかったんだ。「ドント・クライ」は当時の最新アルバムからのヒット・シングルだったし、「好きではない」と言いながらも、何回かはやっていたよ。
●現在のラインアップでエイジアとしての新作アルバムを作る予定はありますか?
ぜひやりたいね。実際の作業はまだ始めていないけど、みんなクリエイティヴな人間ばかりだし、きっと素晴らしいアルバムになるよ。それに生前のジョン・ウェットンとエイジアの新作用の曲を書いていたんだ。でも彼は途中で病気が重くなって、完成させることが出来なかった。当初から彼のソロでもなくアイコンでもなく、エイジアの新曲を前提としていたんだ。長く一緒にやっていたおかげで、そういうのは話さなくても、大体判るんだよ。
Asia 2025 / courtesy of Billboard Live
<既にイエスのニュー・アルバムに着手している>
●近年のエイジアのライヴではザ・バグルス時代の「ラジオ・スターの悲劇」をプレイしていますが、日本公演でも聴けそうでしょうか?
うん、世界中でいつも盛り上がる曲だし、日本のファンにも楽しんでほしいね。ハリーのヴォーカルも曲にピッタリなんだ。こないだイエスで日本に行ったときもソロ・コーナーで少し弾いて、大きな歓声が上がったよ。私が知られるようになったきっかけは「ラジオ・スターの悲劇」だったし、大事な曲だ。誇りにしているよ。
●エイジアの翌月、2025年5月にはハンス・ジマーが日本公演を行いますが、彼が「ラジオ・スターの悲劇」のミュージック・ビデオに出ているのはどんな経緯があったのですか?彼はザ・バグルスのメンバーだったのですか?
いや、ハンスはザ・バグルスのプログラミング担当だったんだ。元々トレヴァー・ホーンと私はクロミウムというプロジェクトを組んでいて、そのプログラミングで起用したのが始まりだった。それがザ・バグルスに発展したんだ。ハンスはエレクトリック・ティンパニみたいなサウンドとか、シンセサイザーのサウンドをプログラミングしてくれた。それでビデオにも出てもらったんだ。モーグのモジュラー・シンセを弾いているのが彼だよ。当時、彼はTVのジングルなどを中心に書いていて、セッション・プレイヤーとしての印象が強かったけど、常にアイディアが豊富で、ミュージシャンよりもコンセプチュアル・考えている。

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