第11話 天照大神の別名はヒミコ、朝倉は天照の国、順次式解釈はあり得ない
Автор: 井上悦文のあさくら古代史チャンネル
Загружено: 2025-05-19
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卑弥呼は日の巫女。日の巫女から考えたら、神道の神様の中に「大日孁尊」がいる。大日孁尊は天照大神の別名。天照の別名が大日孁。
大日孁の「孁」は「レイ」とも読むし「みこ」とも読む。大日孁は読み方を変えれば大日巫女様と呼ぶのと一緒。「卑弥呼は天照」だとわかっている。
天照から来ているからアマテラス神。アマテラス神が字を変えれば麻氐良須神。朝倉にこの字を書き間違えた麻氐良布神社がある。麻氐良布神社は天照を祀っている。つまり、麻氐良布神社の本当の名前は「天照神社」。
「麻氐良」の「氐」の字の正式書体は「弖」。「弖」の字の草書体は「久」の字の草書体と一緒。よって、それを置換したら麻氐良は「アサクラ」。つまり、地名の「朝倉」は「麻氐良」から。
よって、「朝倉」というのは結局「天照」のこと。
日巫女の都が「耶馬臺」。そして、日巫女の名前は「天照」。ならば、女王国は天照国。
つまり、「朝倉」だから「旧朝倉郡」。夜須から小石原・宝珠山・日田との境まで全部「朝倉郡」であった。
朝倉郡を「カミツアサクラ」・「シモツアサクラ」と呼んだ。しかし、「カミツアサクラ」は「上朝倉」と書かない。「シモツアサクラ」は「下朝倉」と書かない。「上座」で「カミツアサクラ」。「下座」で「シモツアサクラ」と呼び、「座」の字だけで「アサクラ」と呼ばせている。「座」は一番高貴な人にしか使わない。ならば朝倉に一番高貴な人がいた。つまりアサクラに「天照」がいた。
魏志倭人伝に、不彌国までの里程が書いている。しかし、不彌国から次にどこに行くのかが書いていない。不彌国の次は、もう女王国に入った。宇美国から南に行って、山を越したら宝満宮。山を降りて宝満川を越したらもう夜須で、「朝倉郡」に入っている。つまり、宇美町から国境を越したらもう女王国に入っている。女王国に入っているから不彌国の次を書く必要が無い。
帯方郡から不彌国までの里程を足すと全里程は「1万1400里」。最初に水行で7000里。海を渡って1000里。對馬が400里。海を渡って1000里。壱岐が300里。海を渡って末盧国へ1000里。それから伊都国へ500里。奴国へ100里。不彌国へ100里。つまり、水行と渡海で1万里、方が400里と300里、陸行が500里と100里と100里、全部で「1万1400里」。帯方郡から不彌国が「1万1400里」。不彌国から耶馬臺国が「600里」。真の残理数は「600里」。不彌国から国境を越したら女王国に入っている。
女王国は「天照国」。天照がいた所が「耶馬臺(ヤマダ)」。
みなさんが順次説で解釈しています。そしたら絶対におかしい。不彌国から耶馬臺国まで600里しかないのに、順次説で水行20日、水行10日・陸行1月をくっつけてしまう。
しかし、くっつけちゃいけない。くっつけたら計算が全部成り立たない。
順次式の水行20日と水行10日陸行1月を一連として計算すると、水行20日と水行10日を足すと水行30日。それと陸行30日。
残里数は600里しかない、それを水行30日で行く。水行30日は何里かと計算すると3万里。狗邪韓国から対馬が1000里。対馬から壱岐が1000里。壱岐から末盧が1000里。全部1000里になっている。しかし実際の距離は全然違う。なぜ千里と書いたか、それは「1日を千里とみなす」みなし計算。見なし水行距離は「1日が千里」ということ。つまり30日は3万里。ならば、残里数600里に水行3万里が入るはずがない。
不彌国以降の日程旅程の各冒頭には「又」の字があった。それを知らないから順次説にしてしまっている。
「魏志倭人伝」には「南至投馬国水行二十日」とある。ところが、「魏志」には「又南水行二十日至於投馬国」。「梁書」にも「又」の字が付いている。そして、邪馬台国への日程旅程にも、「魏志」と「梁書」には「又」の字が付いている。また、「魏略」には投馬国と邪馬台国に行く旅程は書いていない。つまり伊都国までの旅行記しかない。
よって、陳寿は、伊都国以降の部分は「魏志」を移したということ。ところが、「南至邪馬臺国」の間に「水行十日陸行一月」を入れ込んでいる。順番を入れ替えただけで、使っている。文字列は全く一緒。ところが陳寿は「又」の字を外している。
そのことをわかれば、「別の旅行記」ということ、里程記事と日程記事は「別記事」ということが分かる。
つまり、投馬国への水行20日と邪馬臺国への水行10日陸行1月には、その各冒頭に「又」の一字があった。つまり、各旅行記は「又」の前で完結している。そして、「又」から後は・・・「別の旅行記」だということ。
つまり、投馬国と耶馬臺国への各冒頭の「又」の字は起点の帯方郡を表現している。各旅程は帯方郡起点の別旅程の記事だということ。つまりは、帯方郡起点の「放射説」だということ。
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