ぼうさいの時間 奄美の津波災害に学ぶ(2022.11.10)
Автор: 鹿児島ニュースKTS
Загружено: 2022-11-11
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鹿児島大学の井村隆介准教授を先生に迎え、親子で楽しく学ぶ“ぼうさいの時間”です。
11月5日は国が定めた「津波防災の日」でした。
そこで今回は、過去の鹿児島での津波災害を知り、教訓を学びます。
井上 彩香アナウンサー
「奄美大島にやってきました。今回のテーマは〝奄美の津波災害に学ぶ〟です」
井村 隆介准教授(鹿児島大学)
「奄美大島では今年1月に“フンガトンガ”という火山が噴火して津波が押し寄せて、一時避難指示が出された。これは奄美市名瀬のハザードマップ。このあたりのエリアが津波の想定エリア。実際には、奄美ではもっと広い範囲が過去に津波に襲われたことがある」
【奄美を襲ったチリ地震の津波】
井村 先生
「1960年の5月に南米チリのあたりで大きな地震が起こった。津波は太平洋をほぼ一日かけてやってきて、5月24日に日本の太平洋側で大きな被害を出した」
これは、奄美市に本社を置く南海日日新聞の1960年、昭和35年5月25日の紙面です。
「四メートルの高波 海岸地帯を濁流洗う」
チリ地震では、奄美市名瀬で4.4mの津波を記録し、犠牲者は出ませんでしたが家屋の床上、床下浸水が1800棟余りなど、甚大な被害がでました。
近年県内に被害をもたらした津波としては最大です。
名瀬測候所に当時の貴重な写真が保管されていました。
かつての商工会議所。
大人の男性の腰の位置まで津波の痕が残っています。
繁華街・屋仁川通りは、一面、水の海に。
名瀬を流れる永田川です。
井村 先生
「この川をずっと津波が遡って、このあたりも2m以上の浸水があったことが分かっている」
井上 アナウンサー「2m!?」
井村 先生
「当時はもう少し潮が上がっている満潮に近い時期。そのときの様子を地元の方にうかがった」
こちらは井村先生の大学の研究グループが、当時の津波被害について奄美の住民に聞き取り調査したものです。
この住民は当時小学生だったそうです。
井村 先生
「今私たちはここにいる。同じ所を見ると想定されているエリアよりもずいぶん奥まで津波がいったことが分かる。ここに住まわれてた方が津波がやってきたということで膝までつかりながら避難をした。すぐそこが山なのに津波がきて逃げられなかったということは、新川はかなり上がっていた。そういうことがあったので、こちら側の市役所の後ろの高台に逃げた」
井村先生のチームが行った聞き取り調査から、奄美各地に押し寄せた津波の高さの推定は多くの場所で2mを超えました。
【スーパー:奄美の津波災害の教訓】
最後にやってきたのは、名瀬の高台にある標高24mの高千穂神社です。
井村 先生
「後ろ振り返っていただくとわかる。名瀬の市街地が見える」
井上 アナウンサー
「奥に海も見えますね」
井村 先生
「チリ地震津波の時には、名瀬の人たちはここを目指して逃げた」
高千穂神社の宮司、80歳の黒木正和さん。
チリ地震当時は家にいて津波に気がつかなかったそうですが、こんな話をしてくれました。
黒木さん
「この町のかなり上の方なんですけど、下水道の水がずっと逆流していたという話を聞いたことがあります。波が来るのではなくて海面全体が上がってくる、そんな状況」
井上 アナウンサー
「鹿児島に住む人たちが奄美の津波災害から学ぶことは」
井村 先生
「想定にとらわれるなということ。訓練でも、いろんなシチュエーションを考えることが大事。夜だとか昼だとか、それが冬なのか夏なのか。一年に一回やっているだけでは全然足りない。1960年の津波はこのあたりも4~5mの津波があがった。ゆっくりあがってきて、明るい時間だったのもあって人が死ぬことはなかったですけど、次は分からない。過去の災害の資料をもとに自分が考えることが出来ていくようにならないといけない」
過去に学び、あらゆる避難のパターンを家族と話してみて下さい。
#鹿児島 #井村隆介 #防災 #津波 #鹿児島ニュースKTS
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