一杯のかけそば(a bowl of kake soba)
Автор: Flyingship
Загружено: 2025-06-22
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今から50年前の大晦日
札幌の蕎麦屋に3人の親子連れが
昭和の貧しき時代を生きた人たち
オリジナル音楽と、北海道札幌の街の映像をごらんいただきながら今から50年前の、ある蕎麦屋さんの心温まるお話をご紹介します。
• 一杯のかけそば(a bowl of kake soba)
今から約50年前の1972年、
昭和45年の大晦日のことでした。
札幌の時計台横丁(架空の地名です)に、「北海亭」という蕎麦屋がありました。その店に、幼い2人の子どもを連れた貧しい身なりの女性がやってきたのです。
店主は、「もう閉店です」と告げました。しかし、母親が「どうしてもそばが食べたいんです」と言ったので、店主は仕方なく母子を店内に入れました。
席についた母親は、「かけそばを一杯ください」と言いました。
店主の奥さんは、主人にそっと、「三杯出してあげたら」と言いました。しかし、店主は「それでは親子が気を遣ってしまうだろう」と、黙って一杯の丼鉢に、1.5人前のそばを入れました。
三人の母子は、おいしそうに、かけそばを分け合って食べました。
聞いてみると、この家族は父親を交通事故で亡くしており、その父が「北海亭」のそばが大好きだったそうです。
主人を亡くし、懸命に子どもたちを育ててきた母親にとっては、そばを食べる子どもの笑顔を眺めるのがいちばんのご馳走でした。
その母子は、翌年、そして翌々年の大晦日にもやってきて、かけそばを注文しました。
「北海亭」の店主夫婦は、大晦日に3人の母子がやってくるのを楽しみに待つようになりました。
その子どもたちは、父を失ってから、新聞配達や家事の手伝いをして母を助けながら、力を合わせて生きてきたようでした。
「大晦日に食べる一杯のかけそばが、年に一回の贅沢なんです」と母親は言いました。
しかし、そのように語った次の年から、母子はパッタリと現れなくなりました。
それでも主人夫婦は、大晦日には席を空けて、母子が来るのを待ち続けました。
それから、十数年が経ちました。
ある大晦日、その母子は久しぶりに「北海亭」にやってきました。
子どもたちはすっかり大きくなり、医者と銀行員になっていました。
あれから札幌を離れ、母親の地元に帰っていたということでした。
母子は、今度もまた、かけそばを注文しました。テーブルには、三杯のかけそばが並びました。
そして、3人は楽しそうに語り合いながら、おいしそうにそばを食べていたのでした。
栗良平という作家によるこのお話は、実話を元にしたお話ということで、マスコミに取り上げられ、さらに映画化もされ、大評判になりました。
しかし、全てが創作でストーリーにつじつまの合わないところがあることがわかり、さらに作者の人格にも問題があるということで、ブームは沈静化していきました。
昭和20年以降、人々は戦争で家族を失った悲しみを乗り越え、懸命に生きていました。
国民みんなが貧しい時代でした。しかし、苦しみが大きいほど、心の中には、希望が大きく膨らんでいました。
日本は、昭和40年代の高度成長期を経て、豊かな国に変わっていきました。
人々は、アメリカの豊かな生活に憧れ、テレビや洗濯機、冷蔵庫など、夢だった家電製品が一つひとつ家庭に届くたび、歓喜の声を上げたものでした。
私たちは、かつて乏しい食料を分かち合い、未来に向かって懸命に努力した人たちがいたことを忘れてはなりません。
今の豊かな生活は、当たり前ではないのです。
戦前、戦中、戦後を体験している80歳を超える高齢者の方たちは、とても貴重な存在です。彼らが元気で生きておられる今、激動の「昭和」の時代のことをたずねてみてください。
日本は、高齢者人口の割合が、世界で最も高い国です。
私たちはそのことに誇りを持ち、あらゆる世代の人たちが、尊敬しあい、協力しあう道を進んで、世界中の人々のお手本になっていきたいものです。
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