スタン・ハンセンが「今まで闘った中で、一番強かったタッグチームは?」の問いに挙げた意外な二人のレスラーとは?
Автор: オレたちのプロレスと格闘技の考察
Загружено: 12 апр. 2025 г.
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「プロレスラーが評価するプロレスラー」は気にかかかる。それも上手さではなく、強さという切り口ならなおさらである。しかも評するのがスタン・ハンセンとあれば。
日本にやってきた外国人レスラーは何百人といるだろうが、その中で日本人の観客に最も愛され、同時に最も日本を愛していたレスラーはスタン・ハンセンであると言っても過言ではないだろう。
ハンセンは77年1月に新日本に来日して猪木とNWFヘビー級をかけて激闘を繰り広げ、新日本で5年間戦った。
そして、81年12月11日の新日本「第2回MSGタッグ・リーグ戦」最終戦が行われた大阪から帰京してわずか2日後の12月13日。蔵前国技館での全日本「'81世界最強タッグ決定リーグ戦」最終戦でブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組のセコンドとして全日本に登場。
翌82年からシリーズに参戦し、その年のプロレス大賞の年間最高試合となった2月4日のジャイアント馬場戦をはじめとして、2001年1月28日に東京ドームで行われた「ジャイアント馬場三回忌追悼興行」での引退セレモニーまでの19年間を全日本で過ごし、日本のトップレスラーとして活躍し続けた。
といっても実はハンセンの初来日は新日本ではない。彼が75年秋に初来日したのは全日本だった。そのときはまだニューヨークでブルーノ・サンマルチノの首を骨折させて彼が有名になるより前であり、全く目立つことのない単なる体の大きな若手レスラーに過ぎなかった。しかしそれから26年後、彼の輝かしい功績を称える舞台として、東京ドームが用意されたのである。
“ブレーキの壊れたダンプカー”や“不沈艦”と称されたハンセンの戦いは凄まじかった。
馬場からは「滅法強いしセンスもあるが、悪く言えば素人の喧嘩みたいな試合をする」と評された。カウベルを巻き付けたラリアットで天龍のまぶたをドス黒く内出血させたこともあれば、ラリアットで鶴田の額を一瞬のうちに切ってしまったこともあった。全日本時代の19年間には、馬場や鶴田、天龍、四天王らと激闘を続け、先に述べた82年の馬場戦、88年の天龍源一郎戦、92年の川田利明戦と、外国人レスラーとして最多の3回のプロレス大賞のベストバウト賞を受賞している。
時にはそんな暴走もいとわなかったハンセンの引退直前会見が行われたのは、2001年1月24日、東京ドームホテルでのことだった。
「僕の引退でもあるけれど、当日は馬場さんの3回忌の大会であることを、忘れてもらっては困るよ。今まで皆さんを、さんざんブルロープで殴って悪かったなあ」
破天荒な闘いを繰り広げながらも、リングを降りれば常識人。あくまでもビジネスに徹してヒールや外敵としてふるまう他のレスラーたちも決して悪くはないが、ハンセンは日本人の心根を誰よりもよく理解している"ガイジンレスラー"だった。
4日後の東京ドームで行われた彼の引退式に駆けつけた観客は5万8700人(主催者発表)。日本のファンが、彼を自国のレスラーと感じていたのがうかがわれる数字である。
そして彼を認めていたのはファンだけではない。
「スタンはとても男気のある男だった。だからこそ、こんなに愛されたんだと思うよ」と語るザ・デストロイヤー。彼も駆けつけた東京ドームでの引退式では、天龍、藤原喜明、獣神サンダー・ライガー、そして当時の新日本の会長だった坂口征二など、各団体のレスラーたちが垣根を越えて、リング下から彼を見守った。
そんなハンセンは引退直前会見だけに限らず、インタビューに答えるときは穏やかで落ち着いた雰囲気で語ることが多かった。しかし彼が日本の記者に対して怒りをあらわにしたことが、実は一度だけあった。
「今まで闘った中で、一番強かったタッグチーム?」
その時、ハンセンはそんな記者の質問に答えていた。
「ファンクス、ツルタ&テンルー。あと……」
そしてハンセンはもう1チーム答えた。だが彼の口から出てきたのは、馬場でもハーリー・レイスでもアブドーラ・ザ・ブッチャーでも三沢光晴でもなく、あまりにも意外な名前だった。

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