明治22年 女帝と女系の境界線 ー明治の皇室典範が成立するまで
Автор: Azalea Network
Загружено: 2025-12-24
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#男系男子 #明治政府 #女帝 #女系 #井上毅
明治22年2月11日、大日本帝国憲法と同時に皇室典範が制定されます。
そこでは、皇位は男系男子により継承されると記載されました。
しかし、そこに至るまで、初期段階では、女性にも継承資格があり、女系の継承も認める内容となっていたのです。
それは、皇室の伝統を踏襲したものだったからです。
ざっくりとその経緯をまとめました。
男系男子継承は、皇室の伝統ではなく、皇室の意向でもありません。
明治政府のイデオロギーによるものです。
明治に、南北朝では南朝が正統と定められ、それに合わせて代数がふられ、皇統譜が作られました。
現在の天皇家は北朝の血統なので、皇室はこの判断に反対しました。
しかし明治政府は強行しました。
南朝正統とした理由は「三種の神器」の存在です。血統ではありませんでした。
皇室の伝統よりも、立憲君主制国家樹立のための明治政府のイデオロギー。
政治形態の変わった戦後の皇室典範にも男系男子継承は引き継がれ、現在では、国家のためでもなく、皇統のためでもない、形骸化したイデオロギーのために主張する人たちがいます。
何のために皇室典範が作られたのか、それは、皇室を存続させるためです。
そのことを忘れてはいけないと思います。
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