真玉橋物語
Автор: [沖縄(久米島)民謡] 古堅民謡教室
Загружено: 2021-08-12
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真玉橋物語(まだんばしものがたり)
むかし昔むかしの、沖縄おきなわではよく知しられた、お話はなしです。那覇なはと豊見城とみぐすくの間あいだを流ながれる川かわに架かかる、真玉橋まだんばしにまつわる、七色なないろむーてぃー元結、と呼よばれる話はなしです。
親子三人おやこさんにんで暮くらす家族かぞくがいたそうです。母親ははおやは七色ななしょくの髪飾かみかざり、七色ななむーてぃーを、していました。
真玉橋まだんばしが造つくられた最初さいしょ、いくら橋はしを架かけても、増水ぞうすいする度たびに橋はしが流ながれてしまい、何度なんども橋はしを架かけ直なおさなければ、なりませんでした。そこで、橋はしを造つくる人ひとの中なかに、民間みんかんの占うらないをした人ひとがいて、七ななむーてぃーしているせじせじ(※霊力)が強つよい女おんなを橋はしと一緒いっしょにに埋うめない限かぎり、この橋はしはいつまでも流ながされる、と言いわれたそうです。
その結果けっか、親子三人おやこさんにんの母親ははおやが、生贄いけにえとして、橋はしと共ともに埋うめられることになってしまいました。その家いえには、女おんなの子こが一人ひとりいました。埋うめられに行いく際さい、母ははは娘むすめに言いうことには、
「あなたは、容姿容貌ようしようぼうが美うつくしいのは幸運こううんだけれども、幸しあわせになるために、これから他人たにんより先さきに話はなしをし始はじめては、いけませんよ。」と。
それから母ははは家族かぞくと別わかれ、橋はしの下敷したじきになったそうです。
父親ちちおやは、もうここにはいられないと思おもい、娘むすめを連つれて山原やんばるの方ほうへ移うつったそうです。
やがて、娘むすめは大おおきくなり、十七、八歳さいになりました。娘むすめは母ははの遺言ゆいごんを守まもっているのか、あの日ひ以来いらい、言葉ことばを全まったく話はなしませんでした。
父親ちちおやが娘むすめを連つれ立だって山原やんばるに移うつり住すんだ話はなしを、何年なんねんか経たって、偶々たまたま伝つたえ聞きいた橋はしの責任者せきにんしゃである役人やくにんは、息子むすこを呼よんで、可哀想かわいそうなことをした父親ちちおやと娘むすめさんの所ところに行いき、よくお詫わびをして来きなさいと、言いったそうです。
こうして、同おなじく役人やくにんの息子むすこが、国頭くにがみまで行いったところ、ある海辺うみべで、女性じょせいが独ひとり静しずかに、遊あそんでいたそうです。男おとこは、綺麗きれいな娘むすめさんだなあと思おもいながら、自分じぶんがこれから訪たずねたい人ひとの家いえを聞きいてみました。
すると娘むすめは、口くちを開ひらかず身振みぶりで方角ほうがくを教おしえます。役人やくにんが、再ふたたび、その家いえまで案内あんないしてくれるように、頼たのんでみました。すると娘むすめは頷うなずき、黙だまったまま男おとこの前まえを歩あるき始はじめました。
連つれて行いかれた先さきは、なんとその娘むすめの父親ちちおやの家いえでした。
役人やくにんは、言いわれてきた通とおりを父親ちちおやに伝つたえ、礼儀れいぎを尽つくして謝あやまりました。
それが終おわってから、役人やくにんは父親ちちおやに、何故なぜ、娘むすめさんは言葉ことばを話はなさないのかと、尋たずねてみました。
すると父親ちちおやが話はなすことには、母親ははおやが最期さいごの別わかれの時ときに、娘むすめに遺言ゆいごんをしたためだと言いいました。それは、他人たにんより先さきに、口くちを開ひらく女おんなになってはいけない。「物むぬゆみ者や馬ぬさちとゆん」(※お喋り者は馬の先を歩いて災いを招く、の意)を守まもりなさいと、言いい遺のこしたことを話はなしました。そしてそれ以来いらい、母ははの教おしえを守まもってか、突然とつぜん、幼おさなくして大好だいすきな母ははを失うしなったためか、娘むすめは、一言ひとことも話はなさなくなったと言いました。
すると、その話はなしを聞きき終おわった役人やくにんは話はなし出だしました。
実じつは父ちちの言いい付つけで、先まず、あなた方がた親子おやこに、お詫わびをしてから、言葉ことばを話はなさなくなった可哀想かわいそうな娘むすめさんを、私わたしの嫁よめに来きて貰もらえないか頼たのみなさいとも言いわれて、こうして、やって来きました。しかしながら、言葉ことばを話はなさない娘むすめさんが、私わたしのような者ものと一緒いっしょに首里しゅりで暮くらすようになって、果はたして幸しあわせになるものでしょうかと、尋たずねました。
それから三人さんにんは、色々いろいろと話はなし合あったそうです。
やがて、父親ちちおやは娘むすめに向むかって、お前まえがもしこの人ひとの嫁よめになりたいなら、そうしなさい。けれども、この方かたの嫁よめになってからは、きちんと口くちを開ひらいて言葉ことばを話はなせるのかと聞ききました。
すると娘むすめは、
「はい。そう致いたします。」と。
そう答こたえて、この男おとこの妻つまになったそうです。しかも娘むすめが言いうことには、数日前すうじつまえに、母ははが蝶ちょうになって自分じぶんの前まえに現あらわれ、そうするようにしなさいと言いわれていると、いうのです。
こうして娘むすめは男おとこが住すむ首里しゅりに嫁とつぎ、夫婦ふうふは仲睦なかむつまじく、美人びじんで謙虚けんきょな嫁よめを貰もらった男おとこは、出世しゅっせしたそうな。
※この話の参考とした話
①高木~「源助柱」
②沖縄本島・沖縄県那覇市首里石嶺~『那覇の民話資料』第三集真和志地区(2)』
③沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村渡慶次~『渡慶次の民話』読谷村民話資料7
④沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村宇座~『宇座の民話』読谷村民話資料6
⑤沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村伊良皆~『伊良皆の民話』読谷村民話資料1
⑥沖縄本島・沖縄県中頭郡読谷村瀬名波~『瀬名波の民話』読谷村民話資料4
#沖縄 #民謡 #三線
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