セレナーデ風ガヴォット アマデイ Gavotte Serenade A. Amadei
Автор: RomanzaMandolino
Загружено: 2023-04-13
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ロマンツァマンドリーノアンサンブル第21回定期演奏会
2022.11.20 トッパンホール
客演指揮:進藤 知哉
Romanza Mandolino Ensemble The21st Regular Concert
浪漫曼陀林樂團 로맨차 만드리노 앙상블
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【曲目解説】
アメデオ・アマデイ
Amedeo Amadei
(1866.12.9 Loreto~1935.6.16 Torino)
セレナーデ風ガヴォット(1903)
Gavotte-Serenade
作者は 1866 年 12 月アドリア海に面したイタリア・マルケ州のロレートに生まれ、1935 年にトリノに逝いた作曲家、オルガニスト、指揮者。父ロベルトと祖父ピエトロは共にロレート音楽院の院長で、祖母はオベラ歌手という音楽一家に生まれ、アメデオも父ロベルトに学び、5 歳で作曲を始め、7 歳で最初の作品を出版している。ボローニアのアカデミア・フィラルモニカでピアノ、オルガン、合唱指揮を学んだ後、ピアニスト(F.ショパンを好んだという)、オルガニストや合唱指揮者として活躍した。妹のセシリアはピアニストで、義弟の
Q.ラッツァリーニも作曲家でカペラ・ムジカーレ・ローレターナのオルガニストである。
1889 年には歩兵第73 連隊軍楽隊長に就任、以降各地の軍楽隊長を歴任した。退役後はトリノに移住し指揮者・指導者として楽壇に大きな貢献を成し、イタリア共和国功労勲章の他、聖マリッツォ及びサロの十字勲章を授けられるなど長年の功績を称えられた。作品番号のないものを含めると作品の総数は 500 曲を超え、特に管弦楽の為の6つの組曲は代表作としてしばしば演奏されたが、マンドリン関連の作品も 100 曲を超え、愛着のある分野であった事
が伺える。
また E.ジュディチが監督を務めるベルガモのマンドリンクラブの名誉会長に就任し、作曲コンクールの審査員を各地で務めた他、斯界刊行誌”Vita Mandolinistica”、“Il Piano”に於いて主幹を務める等幅広く活躍した。P.マスカーニは親友であり、夏になるとしばしばロレートを訪れたという。後年トリノに移り住んでからも旺盛な作曲意欲を持ち多数の作品を世に出した。1910 年、トリノで“Lo Spettacolo”紙が主催したオペレッタの作曲コンクールは G.ドロヴェッティの「王女の物語」を台本としたものであったが、S.ファルボ、E.レデギエリをおさえて優勝を勝ち得ている。
本曲は 1903 年 1 月にベルガモで書かれ、翌年 A.Comellini 社の”Il Concerto”誌で発表されたマンドリン 3部、マンドラ、ギターからなる合奏作品で同社の第 2 回作曲コンクールで金賞を受賞している。1928 年には管弦楽版が同社から発表されている。”Il Concerto”版では結尾部が突如 f になる点に違和感を感じるが、管弦楽版では pp のまま終結している。遺族から送られた”Il Concerto”誌にもアマデイ本人がペンを入れているが、こちらはアーティキュレーションの印刷漏れの記入の他、結尾部が和声の修正と共に pp に訂正されており、アマデイの最終的な意向は pp のまま終結する事であったと考えられる。
ガヴォットはフランスの古典民族舞踊を起源とする中庸なテンポの楽曲で 4 分の 4 拍子ないしは 2 分の 2 拍子で記譜され、弱起を特徴としている。アマデイはこの楽曲形式を特に好んでおり、「ミヌエットとガヴォッタ」、「インテルメッツォ・ガヴォッタ」、「田園風ガヴォッタ」等多くの作品が残されている。
参考資料
・Albert De Angelis : Dizionario dei Musiciti(1928)
・Carlo Schmidl : Dizionario Universale Musicisti (1929)
・Ammne Comnunale di Loreto :
Guida All’Altorilievo Commemorativo del Compositore Lauretano Maestro Amedeo Amadei(1988)
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