【解説】小布施 葛飾北斎の軌跡 Obuse HOKUSAI
Автор: Tim CHANNEL
Загружено: 2025-06-18
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100倍楽しくなる小布施観光
長野駅から長野電鉄で約30分の小布施は人気の観光地で、風情ある町並みもさることながら、何より栗菓子で知られます。小布施堂や桜井甘精堂と言えば、ご存じの方も多いかもしれません。生産量は国内の僅か3.6%でしかないのに全国区で「栗の町」として知られるのには理由があります。
江戸時代、各藩から将軍家へ様々な献上物が贈られていました。「江戸三大果」というものがあって、紀州みかん、甲州ぶどう、最後のひとつが小布施の栗だったのです。
小布施は、人口は 11,400 人で長野県下で最も小さい町です。
その特徴ある風土を活かし、先覚の遺した文化遺産を継承、発展させて「北斎と栗の町」「歴史と文化の 町」として景観を大切にしたまちづくりを行った 結果、現在では年間約 120 万人の人が訪れる町となりました。
小布施を語る上で市村家という存在があります。市村家は老舗栗菓子店「小布施堂」と日本酒の酒蔵・桝一市村酒造場を経営しています。それだけでなく町議会議員、県議会議員、小布施町長も務めていました。
さらに小布施町に世界中から人を呼び寄せる大きな価値がある「北斎館」と、今の人々を魅了する街に仕上げたのです。
小布施堂は塩問屋、茶問屋、菜種油、酒造業、薬屋などを手広く営む商家で、家業の中核が江戸中期1755年に創業された桝一市村酒造場でした。その桝一が明治後期に栗菓子製造に乗り出します。当時の缶詰技術と酒造場としての工場生産方式を導入して銘菓「栗かのこ」を作ります。これが小布施堂の前身となります。銘菓「栗鹿ノ子」に発展していきます。
栗菓子は、量産型の日持ちする商品が主流でしたが、小布施に観光客が多く来始めたころから、やはり目指すべきは菓子屋ではないかと思うようになります。工業製品のような分業ではなく、原料の選別から焼いたり砂糖を混ぜたり、季節や温度によって微妙に分量を変える菓子作り、それが菓子屋の原点である生菓子だと思いだすのです。
そうして生菓子が並ぶようになります。
いまでは一部都内のデパートでも小布施堂の生菓子は買えるようになりました。
栗菓子店の強みを生かし不動の人気となったモンブラン。スィーツブームも後押しして、観光客の目当てともなりました。
さて小布施堂のモンブランですが、看板は朱雀モンブランです。
小布施堂本店では、毎年秋の期間限定で「栗の点心 朱雀」が提供されます。
その年の秋とれた栗15個ほどを蒸して、糸のように絞って重ね、栗本来の味を楽しむため中のあん以外は砂糖を一切使っていないのです。
毎秋「栗の点心 朱雀」を食べるために、多くの方が小布施を訪れ列をなします。
桝一市村酒造場・通称ますいち。
創業は江戸時代1755年より260年以上に渡り、現在でも木桶仕込みを行っております。全てにおいて手作業中心、一般米は使用せず、全量酒米仕込みにこだわります。
ますいち12代目当主の市村三九郎が、その名も聞いた事がある方も多い高井鴻山(たかいこうざん)です。
葛飾北斎を江戸から3度も小布施に招いた文化人です。
市村家という視点から小布施を見ると、とても面白いのです。
葛飾北斎と高井鴻山(市村三九郎)の関係をお話いたします。
鴻山は江戸に居た頃、北斎の門下生でした。師弟の合作のほか、北斎の手本を模写したものもあります。鴻山の絵には、そこかしこに北斎の名残が色濃く感じられます。
北斎が鴻山に招かれて小布施を訪問したのは83歳のころで、鴻山は当時37歳。ふたりの年齢は祖父と孫ほど離れていたのですが、互いを認め合い、やがては北斎は「旦那」鴻山は「先生」と呼び合うような親密な信頼関係を築いていきました。小布施では、鴻山の庇護を受け、専用のアトリエというべき碧漪軒(へきいけん)を与えられます。
北斎は面倒な浮世絵より肉筆画を描きたい衝動がありました(浮世絵は絵師、彫師と摺師の共同作業)
小布施では鴻山の多大な援助があり、好きな絵に没頭できたのです。
88歳で岩松院で最晩年の傑作「八方睨み鳳凰図」の天井絵を完成させます。
年老いてなお絵に対する情熱を絶やすことなく、自らの絵の進歩を願った北斎。北斎肉筆画の集大成が小布施にある所以です。
葛飾北斎88歳から89歳にかけての作品といわれています。北斎は83歳に鴻山の誘いで初めて小布施にきて、計4回訪れました。最後の4回目の滞在約1年をかけて岩松院本堂の天井に鳳凰図を描きました。翌年江戸に戻り、90歳で亡くなっています。大きさは畳21枚分。中国より輸入した鉱石を用いた岩絵具は150両だったそうです。4,400枚使用した金箔の光沢や極彩色は170年以上たった現在も変わらない美しさです。すべて鴻山が負担したのです。
どこから見ても鳳凰と目が合う不思議な絵です。
鴻山が北斎に託した思いと信頼を感じ取れる作品は、遠い小布施にありますが、きっと行く価値があると思います。
全世界から訪日外国人がこの小さな街に訪れる街になったのにはきっと理由があります。
小布施人は、「よそ者」を歓待し、変化を受け入れて新たな風土をつくっていく柔軟な創造力があります。
それは鴻山から受け継がれたものでしょう。
「客人=まれびと」は誰もが北斎のような新たな風を吹き込んでくれる人という考え方が根強く残っています。
北斎も鴻山から最初誘われた時は渋っていたそうですが、結果晩年4度も80里ある道のりを歩いて訪問したのが小布施。
小布施には、もう一度人々を来させる何かがあるように思えます。
もし遠いなぁと渋っていたら、北斎のように一度訪問してみるのも何か発見があるようで行く価値があるようにも思えます。

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