【※概要欄をお読み下さいませ】島人ぬ宝 - BEGIN - カバー
Автор: straymouse
Загружено: 2022-09-10
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私はビギンさんのこの曲が以前から大好きだったのですが、ただ単純に「好き」というだけではなく、この歌には本当に大事なメッセージが込められていると思い、それで、これは本当に良い歌だと思ったのです。今回、この曲を歌わせて頂きましたが、ただ歌うだけではこの歌が伝えようとしている真意が伝わらない部分もあるのではないかと思い、少しお話させて頂きたいと思いました。
この歌は沖縄のことを唄った歌ですので、この曲をアップされている他の方の動画と同様に、沖縄の美しい海や自然の画像ばかりをご覧頂きたい気持ちも当然あったのですが、今回はあえて沖縄のヤバいゴミの実情をお見せすることにいたしました。それらは観ていて気持ち良いものではありませんが、この実情を皆様に知って頂きたかったので、どうかお許し下さいませ。
この歌は、沖縄の美しい自然や貴重な文化遺産が失われつつある現状を皆様に知ってもらう為に書かれた歌だということは皆様もご承知だと思いますが、この歌が持つメッセージの意味を踏まえた上で、今日は皆様に、ある疑問とあるお願いをお伝えしたくて、これからのお話をさせて頂く事をどうかお許しください。少し長くはなりますが、最後までお付き合い頂けたら幸です。
この歌は、沖縄をこれ以上壊さないで欲しいという願いと、その気持ちをはっきりと公言できない複雑な気持ちをも秘めた歌なのです。だから「テレビでは映せない ラジオでも流せない」と唄っているのでしょう。沖縄に暮らす人の多くは観光業による経済的恩恵を受けながら暮らしていますが、観光産業を発展させれば、その地域の自然や文化遺産の劣化は免れません。(事実、世界中の世界遺産に認定された地域でも世界遺産に認定された直後から急激に訪問者が増えたことで同様なことが起きて問題になっています。)ですので、沖縄を荒らすのであれば観光客に来て欲しくない気持ちが沖縄の人々にあったとしても、「来るな」とは言えないのです。沖縄という所は本来、古来からの独自の風習や文化を有する特別な場所ですし、前の大戦においては沖縄は日本で唯一住民がいる地域での地上戦があった場所で、多くの人々が犠牲になった悲劇の場所でもあります。しかし、今沖縄が飲み込まれようとしているのは、そんな沖縄とは無関係のリゾート開発です。観光客はそんなリゾート地に行き、人為的に作られた異空間(海外にいるような雰囲気)を満喫し、帰って行くのです。そんな観光客を昔の沖縄を知っている沖縄の年配の人たちは複雑な思いで見ているかもしれません。
沖縄の海も数十年前と比べたら水の透明度が落ちているようです。水質の悪化が、珊瑚を死滅に追いやっている原因の一つのようですが、珊瑚自体には海水を浄化する働きがあるのに、その珊瑚が減っているのですから、沖縄周辺の海水はダブルパンチを受けているはずです。これは観光客だけの問題ではなく、沖縄以外の地域で捨てられたゴミや汚水の問題でもあります。しかし、それをあまり大きな問題にすることはできません。なぜなら、その問題を大っぴらにし過ぎると、沖縄の観光産業や経済が少なからず打撃を受けるからです。昔から沖縄に住んでいる人々やビギンさんは沖縄の自然の変化に気付いているはずですが、それを大声では言えないのです。ですから、「少しずつ変わってゆくこの海を テレビでは映せないラジオでも流せない 大切な物がきっとここにあるはずさ」と唄う事で、「昔ながらの本当の沖縄を理解し、その沖縄を愛して欲しい」と訴えており、それはつまり、「沖縄(島人の宝)をこれ以上壊さないで欲しい」と訴えているのです。しかし、ビギンさんがこの思いを歌以外で表現されることは稀なのかもしれません。それは、ビギンさんは沖縄の観光大使的存在ですから、沖縄を好きで来てくれる観光客や、海洋汚染の実情を見て見ぬ振りしたり、それを悪化させている沖縄以外に住む人々に文句を言って嫌われるわけにはいかないからでしょう。しかし、本当はビギンさんもこれらの問題についてはっきり言いたい部分もあるのではないでしょうか。私にはそう思えてならなかったので、ビギンさんに代わって言葉ではっきりとお話したいと思ったのです。
ではここから、初めに書いた「疑問」についてお話させて頂きます。「自然が好き」とか「沖縄の海が好き」という言葉は本当に多くの人が口にする言葉ですよね。あなた自身もそう思われているかもしれません。しかし、それならば、なぜ、ゴミをポイ捨てする人は沢山いても、他人が捨てたゴミをみつけてもそれを拾おうとする人は極端に少ないのでしょうか?そんな人を街で見かける事は皆無に等しいです。足元にゴミが落ちていてもそれをまたいで行く人ばかりです。しかし、私はその状況を見ていて、おかしな世の中だと思うようになったのです。自分の大切なモノが痛めつけられているのに、それを見て見ぬふりしているのと同じでだからです。「自然が好き」ということは、自然が大切なのですよね?それならば、ゴミが落ちていたら拾うべきではないでしょうか? 皆様は、自分が本当に大切にしている人が誰かの暴力によって痛めつけれれていても、それを黙って放っておくのでしょうか? 「自然を愛する」ということは、単に自然の美しさを求めたり、自然がもたらしてくれる恩恵を得ようとすることではなくて、自然を大切にし、自然を守ろうとすることですよね? そして、自然が危機に瀕しているならば、そこから救ってあげようとすることですよね?「愛」とは、そうゆうことですよね?
私は本州のとある地方都市で暮らしていますが、沖縄の海がいつまでも綺麗であって欲しいと願っていますし、世界中の美しい自然もずっと美しいままであって欲しいと願っています。しかし、現状はと言えば、クジラ、イルカ、ウミガメ、魚類などの海洋生物の死体の胃袋から大量のプラスチック片やビニール袋などが検出されているようですし、沖縄の海岸も定期的に清掃を行わなければ、あっという間に、観光客が捨てたゴミに加えて、どこからか流れ着いたゴミでいっぱいになってしまうそうです。そのせいか、珊瑚や魚もこの数十年で著しく減少しているそうです。一見きれいに見える沖縄の海も、実際は着実に汚れているのです。我々のように本土に住む人々にとって、沖縄の最大の魅力は海の美しさにあると思いますが、このままいけばその魅力もどんどん失われてゆくことになるでしょう。
何も行動を起こさず、ただ願うだけでは何も変わりません。こうしている今も自然は人間の行動によってどんどん失われているのです。それなのに、自然を壊している人や、それを見て見ぬふりしている人たちがこぞって「自然が好き」って言うのはどうゆう意味でしょう?全く意味がわかりません。また、別の例で言えば、魚釣りを楽しんでいる人たちの中にも海や川に弁当の容器やペットボトルなどを投げ捨てて帰る人が結構多くいるようですが、自分が捨てたゴミが水を汚し、結局は魚を減少させることになるのです。その人は魚釣りをしているわけですから、魚は多い方が良いはずなのに、なぜわざわざ魚を減らす行動をするのか?本当に不思議です。ここに書いたことをお読み頂けたならば、きっとあなたもこれらの矛盾に気付いて頂けるのではないでしょうか?
近年、気候変動や温暖化が問題視されるようになり、異常気象や自然災害もどんどん頻発かつ激化するようになりました。そして、それだけではなく、私たちは今、厄介なウィルスにも大いに苦しめられている状況です。しかし、それらがこんなにも猛威を振るうようになったのも、人間が自然をことごとく壊してきたからではないでしょうか? 考えてみて下さい。自然(環境)が不健康になれば、そこに暮らす生き物たちも健康を損なうのは当然のことではないでしょうか?だから、魚や珊瑚だけではなく、我々人間も環境問題や疫病によってこんなにも多くの尊い命が失われているのではないでしょうか?少なくとも私はそう思います。
ですから、微力かもしれないけど、自然の怒りを少しでもなだめることができればと思い、数年前から私は近所の河川周辺の掃除をほぼ毎日一人でやっています。街を歩いている時も、自転車に乗っている時も、道端でペットボトルや空き缶やビニール袋などをみつけたら拾うようにしています。でも、これはそんなに難しい事ではありません。誰でもできることです。ゴミなんて拾おうと思えば誰でも拾えるのですから。。道を歩いていてお金やダイヤモンドをみつけることは至難の業でしょう。しかし、道を歩いていてゴミをみつけることは超簡単なことです。そして、それを拾う事で自分たちが幸せになれるのであれば、こんなに簡単な事は他に無いはずです。
BEGINさんのこの歌は本当に素晴らしいですよね。でも、本当にそう思うのであれば、あなたもゴミを拾って頂きたいのです。これが最初に書いた皆様への「お願い」です。一度に沢山じゃなくてもいいです。少しでも良いのでゴミを拾って頂きたいのです。皆様がどこに住んでいようと、あなたの近所にある川は沖縄の海は勿論、世界の海と繋がっていますし、そうすることは結局はあなた自身の為なのですから。。
ところで、沖縄の海岸に落ちているゴミは日本の物だけではなく、中国や東南アジアから流れ着いた物も多いようです。しかし、だからと言って、日本に住んでいる人がゴミを捨てて良いはずがありません。日本の各地から海へ流れ出たゴミも必ずこの地球上のどこかを汚すことになりますし、それは結局は回り巡って自分の首を絞める事になるのですから。。これらの事をご理解頂き、日本人の多くの人がゴミを拾えるようになれば、日本は間違いなく本当の意味での世界一の先進国になるでしょう。その為に、そして、奇跡の惑星であるこの地球を救う為に、そして、あなたご自身の為に、ゴミを拾って頂きたいのです。
巷では、複数または大勢の人間がある場所に集い、揃いのTシャツやユニフォームなどを着て、「ボランティア活動」と表してゴミ拾いをすることもあるようですが、ゴミ拾いはボランティアでやることではありません。なぜなら、それは自分の為にやるべき事だからです。確かにボランティア自体は悪い事ではありません。しかし、人と連んでボランティア活動をしている時はゴミを拾っても、それ以外の時は道でゴミをみつけてもそれを拾わないのであれば、それはただのファッションか、何か別の利益の為にやっているのか、それともただの偽善者なのか、そんなふうに思われても仕方ありません。とにかく、あなたご自身の為に、一人でいる時でも、人が見ていようが見ていなからろうがそんなことは関係なく、どんな場面でもゴミを拾って頂きたいのです。出かける時にビニール袋を一枚持っていれば、ある程度のゴミは拾えるはずです。
ところで私は、人間と自然の関係は、人間同士の関係とそっくりだと感じています。ある人に暴力を振るったり、傷付けてばかりいるのに、その人がこちらのことを好きになったり大切にしてくれたりする筈などないでしょう。いや、それどころか、その人はこちらへの仕返しを企てているかもしれません。 でも、人を大切にし、その人が本当に困っている時に救いの手を差し伸べてあげるならば、その人もこちらのことを愛してくれる(大切に思ってくれる)に違いありません。ですから、自然や環境の事も本当の意味で愛してあげて欲しいのです。そうすれば、きっと自然も本当の意味であなたを愛してくれるはずです。
長い話にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
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※念の為に申し上げておきます。
ここに書いた事と似たような記事がYouTube上の幾つかの動画のコメント欄にあるのを見られた方がいらっしゃるかもしれません。そのコメントはstraytigerという人によって書かれたものですが、私、straymouseとそのstraytigerは同一人物(私)ですので、そのことを一応お知らせしておきます。
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