「散手」演奏:雅楽道友会 平成30年10月9日 44回乃木神社管絃祭
Автор: 雅楽道友会
Загружено: 2023-03-31
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舞人 藤脇亮
管絃祭解説からの抜粋
散手(さんじゅ)
『楽家録』には「率川(いさかわ)明神新羅の軍を平らぐ歓喜の余り新羅の方へ向かう指麾(しき)の舞、その形船舳に見ゆ時人は此の姿之を模す、寶冠散手是也云々。一説に釈迦誕生の時、師子喔王作舞云々。声楽未だ考えず。また笛説曰く、陽班子敵陣を破る形なり。興陽声楽作る、中天竺阿羅国楽也云々」とあります。
率川明神の説は『古事記』、『日本書紀』の神功皇后の新羅征伐の内容のものだと思われますが、その時代はまだ日本に外来の楽が伝わる以前ですからこれらの話には少し矛盾があります。また釈迦誕生の話にも根拠がなく、笛説の陽班子敵陣を破る形というのが一番もっともらしい説だと思われます。
しかし、私たち日本人にとっては記紀神話の中の神后皇后の話のほうがより身近であり、心を揺さぶられる内容なのではないでしょうか。元来古代人にとっても事実というものはあまり重要ではなく、遠くはるばる朝鮮半島にまで進軍した皇后の話のほうがさぞやロマンチックだった事でしょう。そんな事からこの度は率川明神の説について少し話をさせて頂こうと思います。
第四十回管絃祭では散手の番舞である貴德を演奏し、漢に降った貴德候の話と、旅順水師営の会見で敵将ステッセルに対して極めて紳士的な対応をとった乃木大将の話を重ねて述べさせて頂きました。
対するこの度の散手は御祭神のご神徳にふさわしい堂々たる勝ち戦の故事に纏わる話になります。戦場は現在の朝鮮半島ほぼ全域であり、相手は後に半島を統一した新羅に加え百済、高句麗です。戦に対しては仲哀天皇が急死したため、ご懐妊中にも関わらず神功皇后自らが指揮をとりました。三国を相手に戦いは激しいものになった事と思われますが、見事にそれらを降し、凱旋したといいます。その戦いの事を我が国では通称三韓征伐(さんかんせいばつ)とよんでいます。
記紀神話の中で本来先鋒として船を導いたのは住吉三神の荒魂といわれていますが、これらの伝承に率川明神が登場するのは、恐らく率川神社のご祭神が武勇で名高い神武天皇の皇后である媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)であるため、女性でありながら朝鮮半島で勇ましく戦った神后皇后と重ね合わせたのであろうと思われます。乃木神社には乃木大将とその妻静子夫人をお祭りしていますが、この度は乃木大将の武勇と生涯乃木大将を支え、共に自刀された静子夫人の女性としてのご神徳を称え演奏致したいと思います。
Photo by 鈴木敏也
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