第40話 卑弥呼の墓は径百歩
Автор: 井上悦文のあさくら古代史チャンネル
Загружено: 2025-10-02
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日本で、径100歩についてどのように考えられているか。短里説とか長里説から導こうとする方がほとんどです。それとか、独自の解釈から導こうとする様々な解釈があります。ところがここで一つ、大きな問題があって、日本人は一跨ぎ、要するにどっちの足でも、左足でも右足でもいい、一つこれ、もしくはこれが一歩なんです。だから、一歩、二歩、三歩と数えていく。これが日本人の度量衡の測り方の基本です。
日本語大辞典を調べてみると、「一歩は一跨ぎ」と書いてる。一跨ぎということは今のように一歩、二歩と数えるということ。これが日本人の感覚。だから一歩の長さを60cm~70cmで考えてしまう。
ところが、中国では、一歩というのは二跨ぎなんです。日本人の歩の数え方の倍の長さがある。学研の漢和大辞典の藤堂明保の偏を調べたら、「長さの単位、歩は長さの単位、一歩とは左足と右足を踏み出した長さのことで、手尺で測って六尺」とあります。手尺で測って六尺とは何かというと、一尺は、男の人の親指の先から中指の先まで、これを広げたこれが一尺、これで測って6つで6尺、6尺が一歩になると書いてる。
そして、昔の歩は今の135cmに当たる。昔の一里の300分の1と書いてるから、歩を300倍したものが「里」になる。だから一里は300歩ということ。また、唐の時代以降は360分の1ですから、360倍したものが一里になると変わった。
半歩、片方だけを出したものを「一跬」と記し「いっき」と読み、これは手尺で計って3尺と分かっている。これは中国の辞書に書いてある。だからこれを見たら、大きさはわかる。それなのにこれを調べずに箸墓なんかを卑弥呼の墓だって言ってるわけでしょ。おかしなことなんですよね。文化庁の人だったらそれぐらいの頭はあるはず。中国の辞書を調べるなんかすぐできることだから、おそらく、結局調べてないふりをしてるんでしょう。だから、先ほどの箸墓を見れば、全長278mで、全然合ってない。大きすぎるんです。
「歩」は、両足の形を表し、二跨ぎの意である。一歩とは左足と右足を踏み出して測った長さであって、それは手尺で測って、6個に当たるということがもうはっきりしている。ならば、これは魏志倭人伝に書かれているんだから、魏の時代の一歩の長さを考えれば、もう答えは出る。
魏の時代の換算法を調べると、中国の換算法である度量衡の長さも、時代によって変化している。しかし、度量衡の基本換算は変化してない。一尺が十寸であるということ、これは変わりがない。六尺が一歩であるということも変わりがない。300歩が一里であることも変わりません。ただ、唐からあとは360歩が一里に変わります。けれども、それ以外のところは一切変わりません。しかし、この換算法が、その尺の長さが時代によって変わってくる。ところで、魏の時代の尺の長さは、もうはっきりわかってる。一尺は24.12cmです。だから一歩は6尺だから6倍すればいい。そしたら一歩が144.72cm。ならば、径100歩だったら100倍ですから、144.72cmの100倍ということ。つまり、約145mになる。そしたら卑弥呼の墓は145mの墓なんです。すると、箸墓は278mで、全然違うじゃないですか。それなのに、なんで文化庁が、暗に箸墓が卑弥呼の墓だと言って、箸墓を含む畿内に年間何十億、何百億をかけて調査をするのか。無駄なことです。で、九州のものには全然金が出ないという。このおかしさ。
ところで、円墳とは書いてない。墓の大きさが100歩。だから円墳であろうと前方後円墳であろうと考え方は一緒です。つまり、一番長いところなんです。そしたらその前方がいらないことになっちゃいます。だからおそらく円墳に近いものだと思います。前方後円墳は、まさしく時代から違うということ。100年時代が違うものを、なぜに文化庁が言い張るかですよね。言い張らなきゃいけない理由は何なのかなんですよね。だと思いますね。
魏の時代の一歩、一歩は六尺、三尺が一跬、一尺が24.12cmであるなら、一歩は1m44.72ということは、径100歩は144.72cmになります。で、里はそれの300倍ですから、434.1メーターが魏の時代の一里です。これは、もう計算ですぐに出るんです。それをなぜか学校でも教えないで、間違いを教えていく。おかしなことですよね。
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