「禿山」三態と「船乗り大冒険」
Автор: 不老如若──不老人間ラヂオ
Загружено: 2024-08-23
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ムーサルグスキー「三つの禿山の一夜」とリームスキー=コールサカフ「シェヘラザーデ」
実のところ、極めて微妙なるポジションになるアニヴァーサリー・コンポーザーが存在する。生誕185年──極めて微妙である。しかしながら彼の存在は、取り分けシャスタコーヴィチへの多大なる影響を顧みるなら、決して無碍にはし得ないし、同じくロシア「五人組」同僚にして、こちらは生誕180年を迎えるもう一方の努力もあり、今日音楽シーンには欠かせぬ存在である。そう、誰あろうマデースト・ペトゥローヴィチ・ムーサルグスキーであり、もう一方はニカラーイ・アンドゥリェーヴィチ・リームスキー=コールサカフである。
ロシア「五人組」というのは、唯一のプロ音楽家たるバラーキリェフ(コールサカフも間もなくプロとして、かつ五人組とは異なる理念の許にルーシにおけるアカデミズム発展へと貢献する)を指導者とする緩慢なグループであり、彼らが同一理念の下に結集したる時間というのも実のところかなり限られている。往時はバラーキリェフ、サンクト・ペテルブルグ音楽院教授職へと与り軍籍との両天秤たるリームスキー=コールサカフ両名を除く他全てがアマチュアであり、中でもムーサルグスキーはバラーキリェフの強固なる影響下にあって次第にルースキーたるべき音楽を目指すに到るが、その生家が大土地経営者であったがゆえに、農奴解放令の煽りから次第に零落、数多の保有財産も失い、やがて学生時代を送ったサンクト・ペテルブルグにて官吏として働くようになるが、零落のみならず母の死もあり、アルコール依存症へと罹患、完全に身を持ち崩す。またこの頃にはバラーキリェフとの関係も悪化する。官吏としての待遇も劣悪なものであったが、ダルガムィージスキー(ダルゴムイジスキー)の知遇を得て作曲家としては絶頂へと達する。斯く時期に描かれし彼の代表作こそ「禿山の一夜」(初稿。聖ヨハネ前夜祭の禿山)である。
当作へのバラーキリェフによる痛烈なる批判、就中オーケストレーションを巡る容喙と改変要求が謂わばトリガーとなり、両者の関係は一転悪化を辿るも、決裂をみるには到らなかった。その帰結たるとて、マデーストは五人組競作になる歌劇「ムラーダ」のために、合唱をも加えた「禿山の一夜」の改訂稿を書き上げる。尤もこの「ムラーダ」については頓挫をしてしまうのであるが。この折に作曲されたヴァージョンは現在までもその総譜等は未発見ではあるも、一部手を加えたのみにてほぼそのまま「サローツィンチの市」に転用をされる。これこそ今日1880年版として知られる、バリトン独唱と合唱を加えたヴァージョンであり、彼自身になる最後のそれである。その結尾は67年版とは異なり、鐘の音の告げる静寂に包まれし払暁を描くシーンが印象的であり、今日最も演奏機会数多なるリームスキー=コールサカフによるヴァージョンは、この80年代版を下敷きとしている。ちなみにこの年、彼にとっては比較的「寛大」であった転務先の内務省により馘首を宣告され帰結たるとて職を失い、以後の荒んだ生活は、コールサカフや友人らの支えにより辛うじて維持はされるも、それから一年もせぬ翌81年にマデーストは、余りにも苦衷に包まれたる生涯を閉じる。
さてもう一方、つまりはニカラーイ・リームスキー=コールサカフであるが、彼は貴族階級出身であり、その家系からは歴々たる軍人を輩出する。ニカラーイ自身も海軍士官として人生の荒波へと漕ぎ出すも、マデーストとは異なり「順風満帆」な出航であったは確たる事実である。
彼ニカラーイは、ルースキーによる「ルースキー」たる交響曲の嚆矢であり(ルーシ最初の交響曲を巡ってはアントーン・ルビンシテーインのそれとされるが、彼はドイツ系モルドヴィアンである)、その外にも、同じく海軍時代に「サトゥコー」「アンタール」などのオペラを手がけるなど、五人組最若年ながらサラブレッド的存在であった。その作曲技法習得たるや、バラーキリェフらの示唆は受けるもほぼ独学であり、にも拘らず彼はサンクト・ペテルブルグ音楽院から教授職のポストを提示されてはやがて海軍より退役する。斯くして彼はアカデミズムが一角を占めるに到るも、バラーキリェフらとの関係をも維持、裕福な商人ベリャーイェフらとも連携しつ、五人組を初めとするルースキーになる作品をフランスにて盛んに紹介するなどの活動をも展開。まさにその航路は「順風満帆」である。
されど彼ニカラーイは貴族出身ながら、ルーシの後進性を憂い時に政府批判をも辞さずの硬骨漢であり、ゆえに当局が圧力にて音楽院教授職罷免という事態へ追い込まれるも、それを発端にグラズノーフ、リャーダフらが抗議の辞職へと打って出るに到り、当局も撤回せざるを得ず、結果としてニカラーイは教授としての地位を辛くも守るのであるが、圧力が已むことはなく、今日では代表的オペラの一つに数えられる「金鶏」の上演は妨害をされ続け、彼の死後にやっと日の目をみる。斯く思わば、ロシアというのは帝政であれコミュニズムであれ、今日「建前上」自由主義的体制にあれ、都合悪しき存在への圧力が「習い性」なのやもしれぬ。
とまれ、そんな彼ニカラーイの代名詞的管弦楽作品が交響組曲「シェヘラザーデ」作品35である。交響組曲とは銘打たれども、その構成と構築性、有機的一体性は、最早「交響曲」と呼ぶに相応しい。冒頭は「シャリアールの動機」そしてそれへとブリッジ的経過句を挟みつつ、続けて提示をされしオリエンタルかつ抒情的なるハープとソロ・ヴァイオリンが奏でし「シェヘラザーデの動機」は、当作品の有機的一体性を担保するのみならず、その物語性──標題性を明確に規定するものであろう。これら主要素は第一楽章序奏部を為すが、それへと続く雄渾なる第一主題「海の主題」も、フィナーレの主要因子たるべき機能を与えられる(他にも第二楽章や第三楽章A部主要主題が同様の働きを備える)。第一楽章は展開部を欠く変形的なソナタ形式になるが、再現部にて展開部に相当する機能を担わせるなど、シンプルながら複雑にして独創的でさえある。聊かスケルツォ的性格を帯びる第二楽章は序奏付きの三部形式、緩徐楽章的第三楽章はロンド形式に依拠する。そしてフィナーレは、ライト・モティーフたる「シャリアールの動機」と「シェヘラザーデ」の動機のみならず、前述する第一楽章「海の主題」を始め、先行三楽章の要素が複雑に絡み合う劇的な変則的ソナタになる緊迫感溢れる音楽であり、彼ニカラーイの面目躍如たるやと喝采を浴びせるべき一大傑作である。
掉尾に付言するなら、巷間「サンクト・ペテルブルグ楽派」(五人組ら)と「マスクヴァー(モスクワ)楽派」(チャイコフスキーら)の対立を巡りクラシカル・ミュージックがファンの間では未だ取り沙汰されるが、斯くなる対立は夫々の聴衆あるいは評論家らに見受けられるに過ぎず、確かにチャイコフスキーは五人組に代表されるイディオムとは一時期距離を置くも、殊にバラーキリェフ、そして彼ニカラーイとは折節意見を交換するなど、さしたる対立関係にはなく、比較的良好なる交友を温めていた事実については改めて指摘しておくべきであろう。
詳説:note
https://note.com/minamotono111/
00:00:00 オープニング:ムーサルグスキー「展覧会の絵」(ラヴェル編)プロムナードより
E. クリヴィヌ&ルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
00:00:30 ナレーション
00:01:54 ムーサルグスキー:音詩「聖ヨハネ祭前夜の禿山(1867)(解説)
C. アバド&ベルリナー・フィルハーモニカー
00:14:34 ムーサルグスキー:歌劇「ソローツィンチの市」より「若者の夢」(1880)
A. パッパーノ&サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団 他
00:25:53 交響詩「禿山の一夜」(1886, リームスキー=コールサカフ編)
G. ドゥダメル&ヴィーナー・フィルハーモニカー
リームスキー=コールサカフ:交響組曲「シェヘラザーデ」作品35
00:37:23 交響組曲「シェヘラザーデ」作品35第一楽章
00:47:28 交響組曲「シェヘラザーデ」作品35第ニ楽章
00:59:38 交響組曲「シェヘラザーデ」作品35第三楽章
01:09:33 交響組曲「シェヘラザーデ」作品35第四楽章
E. クリヴィヌ&ルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
01:22:25 エンディング:ムーサルグスキー「展覧会の絵」(ラヴェル編)プロムナードより
E. クリヴィヌ&ルクセンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
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