謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向ありです。意外とシンプル
Автор: ちょっと一福一楽山 福正寺
Загружено: 23 апр. 2025 г.
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#浄土真宗 #自分らしく生きる #シンプル
教行信証(教)
謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。
往相の回向について、真実の教行信証あり。
それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。
(行)
謹んで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。
大行とは、すなわち無碍光如来の名を称するなり。
この行は、すなわちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり。
極速円満す、真如一実の功徳宝海なり。
かるがゆえに大行と名づく。
しかるにこの行は、大悲の願より出でたり。
すなわちこれ諸仏称揚の願と名づけ、また諸仏称名の願と名づく、また諸仏咨嗟の願と名づく。また往相回向の願と名づくべし、また選択称名の願と名づくべきなり。
(信)
それ以みれば、信楽を獲得することは、如来選択の願心より発起す、真心を開闡することは、大聖矜哀の善巧より顕彰せり。
しかるに末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷いて金剛の真信に昏し。
ここに愚禿釈の親鸞、諸仏如来の真説に信順して、論家・釈家の宗義を披閲す。
広く三経の光沢を蒙りて、特に一心の華文を開く。しばらく疑問を至してついに明証を出だす。誠に仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥じず。
浄邦を欣う徒衆、穢域を厭う庶類、取捨を加うといえども、疑謗を生ずることなかれ、と。夫以獲得信楽発起自如来選択願心。開闡真心顕彰従大聖矜哀善巧。然末代道俗、近世宗師、沈自性唯心貶浄土真証、迷定散自心昏金剛真信。爰愚禿釈親鸞、信順諸仏如来真説、披閲論家釈家宗義。広蒙三経光沢、特開一心華文。且至疑問遂出明証。誠念仏恩深重不恥人倫哢言。欣浄邦徒衆、厭穢域庶類、雖加取捨、莫生毀謗矣。
至心信楽の願 正定聚の機
不回向について
次に「欲生」と言うは、すなわちこれ如来、諸有の群生を招喚したまうの勅命なり。すなわち真実の信楽をもって欲生の体とするなり。
誠にこれ、大小・凡聖・定散・自力の回向にあらず。かるがゆえに「不回向」と名づくるなり。
しかるに微塵界の有情、煩悩海に流転し、生死海に漂没して、真実の回向心なし、清浄の回向心なし。
このゆえに如来、一切苦悩の群生海を矜哀して、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、乃至一念一刹那も、回向心を首として、大悲心を成就することを得たまえるがゆえに。利他真実の欲生心をもって諸有海に回施したまえり。
欲生はすなわちこれ回向心なり。これすなわち大悲心なるがゆえに、疑蓋雑わることなし。
(証)
謹んで真実証を顕さば、すなわちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。
すなわちこれ必至滅度の願より出でたり。また証大涅槃の願と名づくるなり。
しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萠、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するがゆえに、必ず滅度に至る。必ず滅度に至るは、すなわちこれ常楽なり。
常楽はすなわちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなわちこれ無上涅槃なり。
無上涅槃はすなわちこれ無為法身なり。無為法身はすなわちこれ実相なり。実相はすなわちこれ法性なり。法性はすなわちこれ真如なり。真如はすなわちこれ一如なり。
しかれば弥陀如来は如より来生して、報・応・化種種の身を示し現わしたまうなり。
それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。
かるがゆえに、もしは因もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし。因浄なるがゆえに、果また浄なり。知るべしとなり。
二つに還相の回向と言うは、すなわちこれ利他教化地の益なり。
すなわちこれ「必至補処の願」より出でたり。21また「一生補処の願」と名づく。また「還相回向の願」と名づくべきなり。22『註論』に顕れたり。かるがゆえに願文を出ださず。『論の註』を披くべし。

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