【歿後120年】ドヴォジャーク3:颯爽たる青春と葛藤なる円熟の協奏曲
Автор: 不老如若──不老人間ラヂオ
Загружено: 2024-10-16
Просмотров: 48
【ドヴォジャーク特集3】
チェロ協奏曲イ長調 B. 10
その時代──つまり「ロマン派」期における「音楽が華」は、ヴィルトゥオーゾ的「表現手法」へと次第に収斂されていく。これは「送り手側」=則ち作曲家・演奏家側にせよ、また「受け手側」=聴衆にせよ変わらず、結果たるとて超絶技巧あるいは難易度の高いパッセージなり構造なりを披瀝するに打ってつけたるピアノ、あるいは弦楽器であればヴァイオリンがそれへと与るに能う風潮・土壌を培い養う「一面」にて歓迎をされ、就中独奏曲やソナタ、協奏曲分野において上記二楽器が「王者」然として君臨するへと到る過程が雄弁にも物語る「歴史的経過」に明白である。
一方で「据え置き型」たるピアノは別として、より大型なる筐体を持つ楽器群は、例えばヴィオール属にてかつてはまさに「華」であったヴィオラ・ダ・ガンバが廃れ、肩より提げて奏でるヴィオロン・チェロ・ダ・スパッラも今日ヴィオラとの競合にて姿を消す。以降は現代において猶、俗に「チェロ」と呼ばれる楽器が時にヴィオラとともに中音域を、かつうはコントラバスとオクターヴにて低音域を主に受け持つが、その魅力・妙を堪能し得る作品となると、室内楽や独奏曲、ピアノと組むソナタなどに限られる。チェロのための協奏曲たるや、ロマン派以前にあってはハイドンのそれのみがレパートワー唯一と呼ばれるほどに貧弱であったは、やはり否めない(往時は、チェロの名手でもあったボッケリーニの一群になるそれらはほぼ忘れられていたのである)。例外的に、ベートーフェンになる三重協奏曲が数少ないレパートワーを補うに過ぎず、新たな「一挿話」を加えるべく試みる人も、指手折るばかり──否、アントンが果敢にも最初のそれへと手を染める1865年なる時点においては、独りシューマンが気を吐くのみであるは驚嘆に値するが否定し得ぬ事実である(尤も、ロシア「チェロが帝王」カールル・ユーリイェーヴィチ・ダヴィドーフになるささやかな協奏的作品が62年に1タイトル作曲をされてはいるが)。
いずれ範を求めるべきモデルは乏しい。
にも拘わらず、アントンがチェロ協奏曲へと着手するは、自身もチェロを心得の一つとしていたのみならず、仮劇場における同僚で親しく交わることとなるルデヴィート・ペールの存在を抜きには語れまい。この、ムシェノ出身たる若きチェリストが彼アントンへの霊感──その淵源として枢要な役割を果たすは、今日否定はし得まい。いずれにせよアントンは、齢僅か十八たるルデヴィートの技倆へと思いを託しつ、往時惹かれつつあったリストあるいはヴァーグナーなど「新ドイツ楽派」の影響をさえ被る最初のコンチェルトへと手を染めるに、躊躇いなくチェロを選んだのである。(以下noteへ)
チェロ協奏曲ロ短調 op. 104 B. 191
この「著名」かつ「偉大な」協奏曲については、様々な観点からメスを入れるのも面白いやもしれない。ただ「明確」に申し陳ぶるなら、このアメリカ時代「最後の作品」がある種のホーム・シック、及び彼アントンの精神的危機へと聊かなりとも関わる点については、それが確固たる傍証的論拠を時には欠くにせよ、彼アントンの心理的イマーゴと少なからず連動する蓋然性の高さから思惟すれば、斯くなる切り口より迫るのも要を得るであろう。
俗にこの協奏曲の冒頭楽想を彼は、アメリカ時代は比較的中期になる1893年の秋、雄渾なナイアガラの瀑布を目の当たりにして閃いた、なる風聞も伝わり、例えば関根日出男先生なども折節触れているが、その「祖型」ともなるべき淵源は、凡そ半年ほど後に耳にせる、ニューヨークはナショナル音楽院の同僚で親交を結ぶチェリストにして作曲家たる、ヴィクター・ハーバートのチェロ協奏曲第二番ホ短調 op. 30は第二楽章主要主題に求めるべきやもしれない 。とはいえ仮に、比較的膾炙をされたる前者(ナイアガラ瀑布のピソード)との関わりをも一つの足掛かりとして捉えるなら、アントンの息つまり「小さい方=次男」オタカルの回想録他が浮き彫りとする、先に触れたる「精神的危機」の影を、我々は見出し得るのではなかろうか。
オタカルの回想録によれば、アメリカ時代のアントンは、決して軽くはない神経症へと見舞われ、時に外出でさえ困難を伴うものであったという。
これも俗説的に囃される小話ではあるが、アントンが所謂「鉄道マニア」であったのは間違いなく、次男オタカルの回想録にもその様子が認められる。のみならずアメリカ時代当初は、港湾の埠頭に浮かぶ巨大な船舶・艦船を眺めるために、態々ニューヨーク港、ニュージャージー港へと脚を運んでいたという。おそらくのところは、今日的なる「マニア」としての貌に止まるのではなく、往時のハイテクノロジーへの興味・関心が結果ではあろう。
斯く意味でそれは、異郷の地におけるささやかなる楽しみではあれ、本来が故地ボヘミアを好み、故にハンスリックらの強い勧めにも拘らずヴィーンへの移転をも断った経緯を思えば(尤もこれは、あの時代がボヘミアへと燻るアンチ・ハプスブルク気質がアントンを逡巡させた結果でもあるが)、郷愁──故地への思いが募るのに比例し、やがてはそれさえ厭うべき存在、否、唾棄すべきものへと変じてしまうなる見方も、決して穿ち過ぎと一笑にすべきではなかろう。(以下noteへ)
note:https://note.com/minamotono111/
00:00:00 オープニング「ユモレスク」
I. パールマン/Y. Y. マ/小澤征爾&ボストン交響楽団
00:01:17 ナヴィゲーションと解説
00:05:28 チェロ協奏曲イ長調 B. 10(チェロ&ピアノによる自筆譜版) 第一楽章:解説文
00:29:53 チェロ協奏曲イ長調 B. 10(チェロ&ピアノによる自筆譜版) 第二楽章:解説文
00:39:39 チェロ協奏曲イ長調 B. 10(チェロ&ピアノによる自筆譜版) 第三楽章:解説文
イジー・バールタ(チェロ)、ヤン・ツェフ(ピアノ)
01:01:20 チェロ協奏曲イ長調 B. 10(ラファエル版) 第一楽章
01:17:51 チェロ協奏曲イ長調 B. 10(ラファエル版) 第二楽章
01:24:46 チェロ協奏曲イ長調 B. 10(ラファエル版) 第三楽章
スティーヴン・イッサーリス(チェロ)、ダニエル・ハーディング&マーラー室内管弦楽団
01:35:05 チェロ協奏曲イ長調 B. 10(ブルグハウゼル版) 第一楽章
01:50:17 チェロ協奏曲イ長調 B. 10(ブルグハウゼル版) 第二楽章
01:58:04 チェロ協奏曲イ長調 B. 10(ブルグハウゼル版) 第三楽章
アレクサーンドル・イズライリェーヴィチ・ルージン(チェロ&ディレクティング)、ムジカ・ヴィーヴァ
02:53:54 ナヴィゲーションと解説
02:14:27 チェロ協奏曲ロ短調 op. 104 B. 191 第一楽章
02:29:19 チェロ協奏曲ロ短調 op. 104 B. 191 第二楽章
02:40:47 チェロ協奏曲ロ短調 op. 104 B. 191 第三楽章
スティーヴン・イッサーリス(チェロ)、ダニエル・ハーディング&マーラー室内管弦楽団
02:53:54 ナヴィゲーションと解説
02:56:50 チェロ協奏曲ロ短調 op. 104 B. 191 第三楽章(初稿)
スティーヴン・イッサーリス(チェロ)、ダニエル・ハーディング&マーラー室内管弦楽団
03:06:27 エンディング「私に構わないで」:参考文献
アリサ・ワイラースタイン(チェロ)、アンナ・ポロンスキー(ピアノ)
Доступные форматы для скачивания:
Скачать видео mp4
-
Информация по загрузке: