2025.5.23 152年の風雪に耐えた文化財農家を救え 住人の石井ひろみさんインタビュー 原発事故被害地から未来への伝言
Автор: Hiro Ugaya 烏賀陽弘道
Загружено: 2025-05-23
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前回に引き続き、152年間、福島県浪江町津島地区の民俗文化の中心であり続けた、石井さん宅の話です。
今回は18代目の当主である光雄さん(1947年生まれ)の妻ひろみさん(49年生まれ)のお話をインタビューとして公開します。
国や東電の横柄かつ横暴な態度に悔しさと怒りが込み上げ、ひろみさんはお話の間に涙をぬぐいます。「行政も裁判所も国も東電もグルの中、私たちは一体どうしたらいいのでしょうか」という悲痛な訴えが、胸を刺します。
北海道に生まれ、東京や横浜で育ったひろみさんも、嫁いで50年の津島が「ふるさと」になりました。避難先で慰問に訪れた楽隊が奏でる「ふるさと」の歌に泣けて、歌うことができなかったそうです。
かつて津島地区は静かな山村として住民が肩を寄せ合って生活してきました。原発事故による避難で住民は離散し、「結」「組」など江戸時代から続いてきたコミュニティは破壊されてしまった。それが悔しいのだとひろみさんは言います。
このうえ、地域のシンボルであり、民俗文化の中心だった建造物まで破壊に任せていいのでしょうか。
福島第一原発事故による戦争のような破壊は、14年後の今もまだ続いているのです。
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石井邸は明治5年の建造。長く地域の中心となる冠婚葬祭の会所として、あるいは福島県の無形文化財である「田植踊」の稽古や出発点として、阿武隈山地の標高500mの高原の村の文化や習俗の中心になってきました。
それが突然断ち切られたのが、2011年3月15日に国が福島第一原発事故で発した強制避難の命令でした。石井さん家族も避難を強いられ、14年以上家に戻れません。無人になった家には野生動物が住み着き、荒廃しました。
そして「除染のために家を解体するかどうか」という思い決断が石井さん家族にのしかかります。
これほどの文化財なのに、福島県や浪江町は保存に向けて動きを見せません。貴重な文化財保存に県や町の英断を促したいと思います。
↓同じ内容を文字と写真にした記事
https://note.com/ugaya/n/ne1c07e599657
↓石井邸内部を案内してもらった動画
• 2025.5.16 明治5年建造 152年の風雪に耐えた古農家を救え 原発事故の除染...
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公共性と事態の深刻さを考えて、今回も無料で公開しました。
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