KATO EF58 10系客車急行瀬戸
Автор: 日本国鉄道 Japanese National Railways
Загружено: 14 дек. 2024 г.
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この動画では、1971年(昭和46年)10月のオシ16を含む急行瀬戸を以下の編成で組成しました。
牽引機EF58 客車は①オユ12(スユ13で代用) ②スロ54 ③オロネ10 ④スハネ16(オハネフ12で代用) ⑤スハネ16(オハネ12で代用) ⑥スハネ16 ⑦オシ16 ⑧スハネ16 ⑨スハネ16 ⑩スハネ16 ⑪スハネ16 ⑫スハネ16 ⑬オハネフ12です。
急行「瀬戸」は、1950年10月に初の宇野線直通列車となる四国連絡の急行列車として東京~宇野間で運転を開始したのがルーツです。東京~岡山間は、東京~広島間急行の「安芸」と併結されていました。一方、四国側の連絡列車は、高松桟橋~宇和島間に準急「せと」が設定されていました。また準急「せと」は、高松桟橋~多度津間で、高松桟橋~窪川間の準急「南風」を併結していました。
1951年9月からは単独運転となりましたが、同年11月から1956年11月までは東京~大阪間で、東京~大社間を福知山線経由で運転する急行「出雲」に併結して運転されていました。
1951年12月に「せと」と名付けられ、1956年11月のダイヤ改正で再び「せと」は単独運転となり、列車名は漢字の「瀬戸」に変更されました。1964年10月には寝台急行列車「さぬき」が新設されて四国連絡の2本目の列車となっていましたが、1968年10月のダイヤ改正で「瀬戸」に統合されて「瀬戸」は2往復になりました。
1972年3月には、特急列車化されましたが1往復に削減され、1988年4月の本四備讃線(瀬戸大橋線)開通後は、同線を経由して運転区間は東京~高松間に変更されました。現在は285系電車を使用した「サンライズ瀬戸」として運行が続けられています。
オシ16は夜行急行の寝台設置・解体中における乗客の待避場所とするために製造された、テーブル席とカウンター席を併設したサロン室付きビュフェ車です。このため当時は「サロンカー」とも称されていました。オシ17形と同様に長野・高砂工場の手による戦前製客車からの台枠流用・車体新製車ですが、こちらの台車はオハネ17と同様に、改造種車にかかわらず、一般仕様車である1 - 3は乗り心地の改善のために種車のTR23形をスハ43形に装備し、捻出したTR47形に交換しました。TR23形との振替が行われたスハ43形はオハ47形に形式を変更されました。電気暖房装備車である2004 - 2006は種車のTR23形をそのまま流用しました。電気暖房車は車重がややかさみ、TR47を装備すると車重が「オ」級から「ス」級に上がって、列車牽引定数の点で好ましくなかったためでした。車体新製時から冷房付であったため、台車がTR47形に統一されませんでした。 加熱調理器具は石炭コンロに代えて電気コンロと電子レンジが採用され、その電源として冷房用とは別に、床下にディーゼル発電機を1セット追加搭載しました。それでも発電容量の制約から電子レンジと電気コンロの同時使用はできませんでした。その後急行列車の特急格上げが進んだことから、1972年3月のダイヤ改正で運用がなくなり、1973年2月までに全車廃車されました。
EF58形電気機関車は、国鉄の旅客用直流電気機関車で、日本の鉄道史に残る花形電気機関車です。当初、1946(昭和21)年から1948(昭和23)年にかけて初期形車が製造されたものの、31両が完成したところで諸事情により一旦製造中止となりました。
1952(昭和27)年以降、別形式と見なしてよいほどの大改良を経て量産が再開され、以後初期形車も車体載せ替えを含む仕様統一の改造を受け、1958(昭和33)年までに172両が製造されました。根本的には戦前の旧式システムの機関車ではありましたが、1952(昭和27)年以降の改良形は高速運転時の性能に優れていたため、特急「つばめ」やブルートレインをはじめとする多くの特急や急行列車、荷物列車などを牽引して活躍しました。

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