第二百二十一話『苦しい時こそ自分を保つ』-【茨城篇】日本画家 横山大観-
Автор: TOKYO FM Подкасты | AuDee от TOKYO FM
Загружено: 10 февр. 2025 г.
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ゴツゴツとした岩に砕ける、波。
果てしなく拡がる大海原。
風に揺れる松の樹々たち。
ここ、茨城県の五浦海岸で最も苦しい12年間を過ごした、日本画の大家がいます。
横山大観(よこやま・たいかん)。
大観は、師匠・岡倉天心を追って、この地に来ました。
明治31年3月、岡倉天心を誹謗中傷する怪文書が出回り、結果、岡倉は東京美術学校の校長職を追われてしまいます。
岡倉に心酔していた大観も、学校を辞め、新しく日本美術院を創設します。
日本美術院、第一回目の展覧会に大観が出品したのが、有名な『屈原』という日本画です。
画面左側に立ち尽くす屈原は、古代中国の詩人。
彼はあらぬ疑いをかけられ、やがて自ら命を絶ってしまう不運の賢人です。
岡倉と屈原を重ね合わせ、悔しさを絵に込めました。
大観が描いた屈原の目は、苦難にもめげず、真っすぐ前を見据え、鋭さを失っていません。
しかし、この絵の評価も惨憺(さんたん)たるものでした。
何をしても、うまくいかない。誰にも認められず、落ち込む。
親しいひとは自分から去っていき、孤独の淵に立たされる。
大観にとって33歳から45歳までの12年間は、悲嘆にくれ、苦しみから逃れられない、まさに厳しい冬の時代。
彼自身、悲しく愁うと書いて「悲愁12年」と後に振り返りました。
なぜ大観は、苦しみを乗り越えることができたのか?
苦しい時にこそ、己の生き方を曲げず、自分を保ち続けることができたのか?
絵にひたむきに向き合う、その後ろ姿は、私たちに勇気を与えてくれます。
近代日本画壇の巨匠・横山大観が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?

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