【躑躅ヶ崎舘】近世城郭とならなかった武田氏館 戦国最強騎馬軍団武田三代の聖地を紹介
Автор: かいのすけ 歴史
Загружено: 31 мая 2021 г.
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山梨県甲府市にある躑躅ヶ崎館跡。有名な甲斐の戦国大名、武田信玄の本拠地です。現在は武田神社として山梨の観光名所となっています。
「人は城、人は石垣、人は堀」。「人が最大の資源であり、人心を掴めば、どんな敵にも負けることは無い」という内容。この言葉のとおり、信玄は甲斐の国に大きな城を築かず、質素なこの館に住み続けたと言われています。
はじめにつくられた居館の西側に曲輪を設け、その南北を虎口で固める。各虎口の前には馬出を設け、北側には小さな曲輪を追加。これが武田氏時代の躑躅が崎館の様子であると思われます。堀や土塁で囲まれていますが、館にこもって敵を撃退することは難しそうです。躑躅が崎館は信玄の時代、その名のとおり館だったのです。
武田家滅亡後、館は新しい領主の手によって改修され、最終的には城のような規模を誇るようになりました。しかし射撃部隊を重層に配置し敵兵を撃退するような最新の城と比べれば旧式で、新しい時代の戦いには合わなくなってきます。
JR甲府駅の東側にある甲府城は複雑に曲輪を配置し石垣で囲まれた近世の城です。この城の登場によって躑躅が崎館はその役目を終えます。

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