第1536回「常楽我浄」2025/3/22【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
Автор: 【公式】臨済宗大本山 円覚寺
Загружено: 21 мар. 2025 г.
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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感情を波立たせず、正しく思考力をはたらかせることは、止観の修行であります。
正しくものごとを見ることが智慧のはたらきです。
正しく見るのには、まず誤ったものの見方を知っておくことが大事であります。
先日とある企業の研修会で、誤ったものの見方として、四顚倒の話をしました。
常楽我浄の四つであります。
常楽我浄は延命十句観音経にも出てくる言葉です。
これには、三つの意味があります。
まずは岩波書店の『仏教辞典』にある解説をみてみましょう。
「常楽我浄
もともとは仏教において否定されるべき4種の見解をさし、<四顛倒>とよぶ。
すなわち、無常であるものを<常>と見、苦であるのに<楽>と考え、無我であるのに<我>ありと考え、不浄なものを<清浄>と見なすこと」なのであります。
四つの誤ったものの見方であります。
これが第一の常楽我浄です。
第二に、四不顚倒といって、
無常、苦、無我、不浄という四つがあります。
これが誤ったものの見方の否定であります。
すべては無常であると見ます。
思うようにはならない苦であると見ます。
そして変わらない実体がない「無我」と見ます。
それから「不浄」とみるのです。
第三について『仏教辞典』には「しかし、大乗仏教中、涅槃経や勝鬘経は、如来が常住であり、涅槃は最高の楽であることを強調し、四不顛倒(無常・苦・無我・不浄)をさらに超える存在として、常・楽・我・浄を究極のものと見なした。
これを<四波羅蜜>あるいは<四徳>と称する。」
と解説されているのです。
ひとつひとつ丁寧に見てゆきましょう。
まず第一が「常」です。
私達の住んでいるこの世の中は、すべて無常です。
常ではありません。
絶えず移り変わってゆきます。
いつも同じであってほしいと私達は願いますが、同じではありません。
移り変わります。
どんな建物でもやがては朽ちます。
それもある日突然朽ちた建物になるのではありません。
徐々に朽ちてゆくのです。
一年一年、一月一月、一日一日朽ちていっているのです。
もっというと、一刻一刻朽ちていっているのです。
人間でいえば「生老病死」という変化は避けられません。
いつまでも若いままであってほしいと思いますが、残念ながら老いてゆきます。
これもある日突然老いるのではありません。
一瞬一瞬老いつつあるのです。
いつまでもお元気で生きていてほしいと願いますが、誰しも最後には死を避けることはできません。
常であると見るのが誤ったものの見方であり、無常であると見るのが誤りを離れています。
しかし、大乗仏教では移り変わってゆく中で、涅槃という悟りは変わらないと説きます。
仏さまの心、仏心は変わることがないというのです。
延命十句観音経で説けば観音さまの慈悲の心は変わらないのです。
この慈悲の心、仏さまの心が一番よくあらわれるのは、親の子供に対する愛情でしょう。
どんなに世の中が移り変わっても、親が子を愛する心だけは変わることはありません。
それと同じで、仏さまの心は常に私達を慈しみ、哀れみ、お救い下さるのです。
その仏心は変わることのないものです。
第二に「楽」です。私達の生きるこの世の中は楽ではありません。苦しみです。楽とみるのが誤ったものの見方で、苦であるとみるのが正しいのです。
お釈迦様は四苦八苦と説かれました。
生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死にゆく苦しみ、そして愛する人と別れる苦しみ、いやな人と会う苦しみ、求めても得られない苦しみ、身も心も様々な苦しみがございます。
そんな苦しみ多い世の中にあって、延命十句観音経で説かれるのは、観音さまの心を持って慈悲の心で生きてゆくことが「楽」になるのです。
自分のわがままばかり通そうとするとますます苦しみを増やすことになりますが、人を慈しみ思いやる、観音さまの心を持ってゆくことで、苦しみを「楽」に転じていくことができます。
人のことを思いやってゆくことこそ本当の楽しみになってくるということです。
第三に「我」です。
これはわがままの我ではありません。
変わらぬ実体があると見るのが誤ったものの見方です。
無我であると見るのが正しいのです。
更に観音様の心を持って生きることが、真実の自己であると言えます。
その昔ある学生が山田無文老師に尋ねました。
本当の自分とは何でしょうかと。
無文老師は答えました。
「きみは今日から、自分のことを勘定に入れないで何か一生懸命人のために尽くしてご覧なさい。
とにかく一生懸命人のために尽くして、そして心から良かったと思える自分がいたら、それが本当の自分ですよ」と。
自分のことを勘定に入れず人のために尽くすとは、観音さまの心、仏さまの心そのものです。
そしてこの仏さまの心こそが私達の本心なのです。
それが本当の「我」、本当の自分であります。
第四に「浄」、きよらかです。
私達の生きる世の中は不浄です。浄らかだと見るのは誤ったものの見方です。
不浄であるとみるのが正しい見方です。
たしかにこの世は醜い争いが絶えません。
そんな中で、本当に清らかとは何でしょうか。
やはり人を慈しみ思いやる心、観音さまの心で生きることです。
延命十句観音経では「常楽我浄」で観音様の心、仏さまの心のすばらしさを表しています。
移ろいやすい世の中にあって、人を慈しみ思いやる心こそ、変わらぬものであり、苦しみ多い世の中にあって、人を慈しみ思いやることこそが本当の楽しみであり、人のために尽くすことこそが、本当の我、本当の自分であり、人の為を思う心こそが一番清らかであるということです。
この「常楽我浄」こそ観音様の心のすばらしさであり、私達の本心である仏さまの心のすばらしさを表しているのです。
横田南嶺
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