ちょこっと紹介仏さま【阿弥陀如来】
Автор: 悟東あすか
Загружено: 2021-12-04
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私は学者様ではありませんし尼僧漫画家が皆さんに仏さまを身近に感じていただくための一助になればとの思いでございます。不快がありましたらゆるしてくださいね。
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阿弥陀如来さまは、如来さまになる前は法蔵菩薩さまという菩薩さまでした。
法蔵菩薩さまは48の誓願を立てられて誓願を成就できなかったら私は如来にならないと仰って、そしてその誓願を成就されて阿弥陀如来さまになられたのです。
その48の誓願の中で特に有名なのが18番目の誓願で、
『あらゆるすべての人々のなかで、
心から深く私の誓願を信じ
極楽浄土に生まれたいと願い
少なくとも
十回私の名前を念じたのに
極楽浄土に往生できない などということがあったら
私は如来にならない
ただし、五逆罪
の者は除きます』
…というものです。
五逆罪とは、
父を殺める
母を殺める
覚者を殺める
僧団破壊
仏の体を
傷つける
です。
阿弥陀さまのこの誓願はとても深いと私は感じます。
『心から深く誓願を信じる』という一文の中に、揺るぎなさを感じます。
つまり、信じてもいないのに阿弥陀さまのお名前を口でお唱えしてもそれはカウントされないのではないかと私は思うからです。
かといって自分でも本当に信じてお唱えしているかどうかって、そんなに簡単にはわからないのではないかと思うのです。
心の底からの祈りの言葉は、姑息な考えや思惑を離れたものだと思います。
赤ちゃんや幼い子供が、親を求めて泣くとき、
そこには親に対する100%の信頼があるからこそ泣くのだと思います。
もし、親を信じていなかったら泣かないのではないかと思うのです。
だって、来ないものを求めて泣くということができるでしょうか?
まぁ、人間の場合は親が来なくて亡くなる赤ちゃんの事件もありますが、
そんなときも純粋な赤ちゃんは、親が来ることを信じて泣き続けます。
自分の無力を感じて、どうにもならなくて、助けを求めて泣くのと、
信じて祈るということが
とても似ていると私には感じられるのです。
人間は育つ段階で、疑うことや諦めることが身につきます。
そして弊害として自分を信じることもできなくなったりもします。
(もちろん生きていく上では時として疑うことも諦めることも必要なことです。)
皆さんは、大人になってから辛くて心から泣いたことはありますか?
悔し涙ではなく、大人になってから親に助けを求めるように泣いたことがある人はあまりいないかもしれません。
それは、泣いても助けられはしないと思うからかもしれません。
でも、助けてくれる存在を心から信じていたら、、、
辛いときに泣きながら助けを求めるとは思いませんか?
頭や理屈で信じるというより、人間にとって阿弥陀さまの誓願は泣いてすがるという感じなのかもしれないと私は感じたりしています。
五逆罪があっても、心から悔やんで詫びて、すべてを阿弥陀さまに委ねたとき、そして阿弥陀さまが罪を許してくださったときに罪は一つずつ消えていくのではないかと思います。
あらゆる人々を救うという強烈に熱い思いで誓願を立てられて成就された阿弥陀如来さまはの救いは確実です。
南無阿弥陀仏
おん あみりた ていせい から うん
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