軍艦島と呼ばれた高密度炭鉱街/海界の村を歩く 東シナ海 高島 端島(長崎県)
Автор: 集落町並みWalker /Walk around Japan
Загружено: 2022-11-04
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Walk around the island village East China Sea Takashima Hashima (Nagasaki Prefecture) / High-density coal mining town called Gunkanjima
端島(軍艦島)
長崎県野母崎の北約5kmにある端島は、周囲1.2km、面積0.06k㎡の小さな島である。かつてこの島には、約5300人が住んでおり日本一の人口密度を記録していた。
文化7年(1810年)岩礁に過ぎなかったこの島で石炭の露頭が発見され、明治23年には三菱の所有となって本格的な採掘が始まった。ボタで周囲を埋め立てながら島の面積を2.3倍にまで拡大し、国内有数の炭鉱として発展した。閉山まで83年間で計1500万トン以上を出炭した。限られた土地を有効活用するために、高層の鉱員住宅や学校、役場支所、病院、購買店、映画館などの生活に必要な施設が立体的に構築された。昭和34年には人口密度日本一を記録するまでになった。だが昭和40年代から出炭が減少し、安全に採掘できる石炭が枯渇したとして昭和49年1月に閉山、その3ヵ月後には無人化した。
現存する日本最古の鉄筋コンクリート建造物である大正5~7年に建てられた7~9階建てアパート群など50棟近い高層建築物が残されており、近代化産業遺産として2015年世界文化遺産に登録されている。
高島
長崎市の中心部から南西海上約14.5kmに位置する島。もともと高島・上二子島・下二子島・飛島の4島だったが、ボタ(捨て石)で埋め立てられ一つの島になった。天将16年(1588)、鍋島家の領有となり、元和9年(1623)に佐賀藩主・鍋島勝茂の命により高島神社が建立された。寛永19年(1642)に外国船の出入りを監視する遠見番所が佐賀藩によって設置された。
元禄8年(1695)に石炭が発見され、宝暦元年(1751)には定住がはじまっている。製塩用燃料として石炭採掘を営んでいた佐賀藩は文化14年(1817)から直営で採炭していあ。根維持2年、同藩とイギリスの貿易商トーマス・B・グラバーと共同で洋式竪抗を開き、本格的な炭鉱開発が始まった。同14年には岩崎弥太郎に売却され三菱の経営となり、以後炭鉱の島として発展、「三菱発祥の地」となっている。昭和43年には人口18,019人を数えたが、昭和61年に炭鉱が閉山、地域社会が大きく変貌した。竪抗などの炭鉱施設や数十棟の炭鉱住宅アパートもほとんどが撤去されている。閉山後、島の特性を生かした水産・観光の振興地として、海水浴場・釣り公園の整備がすすめられた。
(「シマダス」参照)
Database 端島(軍艦島)
http://www.shurakumachinami.natsu.gs/...
集落町並みWalker
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