東洋大学応援団(応援指導部)「鉄紺祭」・第一部オープニングステージ・吹奏楽部・リーダー部・チアリーディング部による歌と音楽とダンスの応援演劇【2025年12月7日】白山キャンパス円了ホール
Автор: 塩田鉄人
Загружено: 2025-12-13
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大学応援団とは何か。
その魅力とは、そしていかにして楽しむべきか。
40代半ばにして、大学の応援団の追っかけをキッカケに、大学の通信教育課程に入学。心は京都の臙脂(エンジ)色に奪われている一人の「観測者」として、これまでの実体験と考察を交えて語ろうと思う。
大学の応援団とは:魂の「出力装置」である
大学応援団とは、単にスポーツを応援するための賑やかしではない。それは、その大学が積み上げてきた歴史、精神、そして「美学」を、身体と音を通じて物理空間に具現化する「出力装置」である。
構成要素は主に三つ。
①学生を指揮し鼓舞する「リーダー部」
➁音圧で空間を制圧する「吹奏楽部」
③そして華やかさと力強さで視線を奪う「チアリーディング部」
この三位一体が織りなす空間は、単なるスポーツ応援ではなく、
一種の総合芸術舞台。
私が体系化した分類に従えば、そこには明確な「血統」が存在する。
洗練と格式を重んじる「東京六大学(東のスマート)」、
圧倒的な熱量と土着的な逞しさを誇る「関関同立(西のワイルド)」、
そして精神修養としての応援を貫く「旧帝大(知のバンカラ)」。
さらに近年では、箱根駅伝という公道を主戦場とし、大衆への共感を武器にする東洋大のような「現代適応型」も台頭している。
応援団とは、その大学が「何を美しいとし、何を尊ぶか」という哲学そのものなのだ。
大学応援団の魅力:既製品にはない「傷と汗」の輝き
なぜ、いい歳をした大人が、学生たちの絶叫とダンスに心を奪われるのか。 それは現代社会が失ってしまった「手触りのある本物」が、そこにあるからだ。
先日、神宮球場で立命館大学の応援を見た。
彼女たちの笑顔は、京都の窯で焼かれた「伝統工芸品」のような実用美を湛えていた。雨に打たれ、泥にまみれることを前提とした、逞しき「機能美」。そこには職人の手ごたえがあり、嘘がない。
私が川崎のスタジアムで浴びた関西大学の「関大マグマ」も同様だ。あれは音楽というより、地底から湧き上がる原始的な「音の暴力」だった。
洗練されたパッケージで覆われた現代において、なりふり構わず声を枯らし、汗を飛ばして他者を鼓舞する姿。その「不器用な熱量」こそが、冷え切った我々の魂を再び加熱する唯一の燃料となる。
大学応援団の楽しみ方:物語を読み解く「旅」として
では、どう楽しむか。単に試合の勝ち負けを見るのではない。スタンドで繰り広げられる「物語」を読み解くのだ。
まず、「音」を聴く。 某大学の学生である私が、あえて早稲田の『紺碧の空』を愛するのは、そこに突き抜けるような「個の解放」を感じるからだ。
一方で、立命館の『グレーター立命』には、モダンジャズと大正浪漫のステップを見る。
関西大学の『関大マグマ』には、大地を揺らす商都の土着性を聴く。
その音の違いから、大学の遺伝子を感じ取ることは、極上の比較文化論となる。
次に、「個」を見つける。
組織としての一体感の中に、ふと露出する「個人の感情」を見逃してはならない。
その笑顔に私は作り物ではない「人間」を見た。
応援団という各大学はもちろん「個」に対する楽しみ方も魅力のひとつ。
結びに
大学の応援団を楽しむとは、即ち「本物を探す旅」に出ることだ。
スマートな都会の風もいい。だが、私が求めているのは、傷つきながらも輝き続ける「伝統工芸品」のような強さだ。
東大駒場キャンパス900番教室で三島由紀夫の幻影を追うように、あるいは神宮のスタンドで そこにある「熱」に触れることでしか、我々の日常は彩られないのである。
スポーツ応援ではなく、歌とダンスと音楽によるひとつの芸術文化、エンターテイメントとしての楽しみ方も魅力のひとつ。
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