【寺社参詣】#43 松帆神社(兵庫県淡路市)~名刀「菊一文字」を所蔵する、楠木正成公ゆかりの厄除八幡~ Matsuho-jinja Shrine
Автор: 有急ちゃんねる
Загружено: 2021-07-22
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神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」第43回は、淡路島の北部、淡路市に鎮座する、松帆神社です。
南北朝時代の延元元(1336)年、楠木正成公(大楠公)が湊川の戦いで、足利勢の大軍に包囲されて、弟の楠木正季公と自刃する直前、家臣だった吉川弥六に、正成が日頃守護神として身につけていた八幡大神の神璽(みしるし)を託し、戦場より逃れて安住の地にて奉祀するように命じました。弥六は、仲間数名と淡路島へ落ち延びました。
淡路島へ渡ってきた弥六たちは、疲労のあまり上陸してから仮眠をとっていたのですが、突然兎に起こされ、追っ手が迫ってきていることに気づきました。これで、さらに山奥へ逃れることができたのですが、このこと以降、弥六たちは兎を八幡大神の厄除けの神使と考え、兎肉を食することを禁じた と伝えられています。
上陸した場所から山奥へ入り、潜伏を続けながら山中に小さな祠を建てて、正成から託された八幡大神を祀りこの周辺を開拓、楠木村と名付けました。楠木村は後に楠本村へ改められ、現在は淡路市の楠本地区になっており、弥六たちが立てた祠は、「元八幡」として現在にまで伝わっています。
この祠は、弥六たちが残党狩りから逃れたという厄除けの御神徳をほか、祈願成就の御神徳が顕著であることから評判となり、応永6(1399)年、現在地である来馬庄(現在の淡路市久留麻)に遷座されました。
明治14(1881)年、それまで「八幡宮」と呼ばれていたのを、周囲の浜辺が「松帆の浦」と呼ばれていたことから「松帆神社」と改めました。
昭和8(1933)年、松帆神社本殿奥の内陣から、一口の日本刀が発見されました。松帆神社には古来より「八幡宮には名刀あり」と伝わってきていましたが、どこにあってどんなものかというのはよくわかっていませんでしたが、鑑定にあたった鑑刀宗家 本阿弥光遜(ほんあみこうそん)氏によって「菊御作」「正真」との鑑定を得ました。また、当時の文部省国宝保存課刀剣主査 本間順治博士からも間違いなく菊一文字という評価を得て、昭和10(1935)年5月20日付けで、国の重要美術品に認定されました。
現在では、松帆神社内の宝物殿に収蔵されており、通常は非公開となっていますが、毎年10月第1週日曜日に執り行われる例大祭の際に宝物殿を開放し、菊一文字の一般公開が行われています。
なおこの菊一文字は、極めて希少性が高く、有力大名や大財閥でなければ入手不可能であること、、また吉川弥六の末裔に「菊一文字は落人間で回し持ちして隠し、その後領主を通じて八幡宮に奉納した」との口伝があることから、建武中興の恩賞として賜った(のであろう)、大楠公の遺愛の太刀として伝わっています。
そんな、大楠公ゆかりの厄除八幡、松帆神社の動画をご覧下さい。
機 材:GoPro HERO8
【リンク】
松帆神社 公式WEBサイト
http://matsuhojinjya.com/
【使用BGM】
「旅愁 Dreaming of Home and Mother」(株式会社VSQ フリー音源)
https://vsq.co.jp/
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