【松戸】千葉料理 とみ田 Chiba Cuisine
Автор: From KOBE
Загружено: 2023-04-06
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■せぐろいわしのごま漬け
平安時代から食べられているイワシは、陸にあげるとすぐに弱ってしまうことから「ヨワシ」が転じて名がつきました。日本最大の水揚げ高を誇る九十九里浜でのイワシ漁は紀州から漁師が移住して地引網漁を始めた事で江戸時代から急速に広まりました。黒潮が流れる九十九里浜で獲れるイワシは地元では愛着をこめ「セグロ」と呼ばれ、大量に獲れるが日持ちのしないイワシの保存方法として昔から伝えられたものが「セグロイワシのごま漬け」です。
■なめろう
黒潮洗う太平洋に面した千葉県房総半島沿岸部に古くから伝わる郷土料理なめろうは、上総・安房の漁師が獲れたての鮮魚を不安定な船上で調理するために考えられました。醤油ではなく味噌を入れたのは、波の荒い船上で、醤油ではこぼれてしまうため味噌を使いました。「皿をなめるほど旨い」ことから「なめろう」と名づけられましたが、粘りが強く皿にこびりついてしまうことから「なめないと食べられない」という意味も含まれています。
■金山寺みそ
空海が遣唐使として唐を訪れ金山寺等で修行を重ねたのち、日本にもどり「金山寺みそ」の製法が伝えられました。この「金山寺みそ」が醤油の起源です。鎌倉時代になると心地覚心も宋に渡り金山寺で修業をし、帰国後和歌山県の鷲峰山興国寺を開山した際にも、この味噌の製法が伝えられました。後に徳川吉宗が8代将軍となり、幕府に金山寺味噌を献上させた事から江戸周辺にも広まり、千葉県東金市でも昔からつくられる特産品の味噌となりました。
■太巻ずし
太巻ずしは、農家など一般家庭に伝えられてきた寿司の一種で、歴史は寛政年間(1789年-1801年)頃まで遡り、イワシを追いかけて来た紀州の漁師の弁当の「めはりずし」が、ルーツともいわれています。祭り、桃の節句、お花見、入学式など、年中行事や冠婚葬祭、家族のイベントに合わせて食べられてきました。戦前は地元の名誉職の男性がつくり、ふるまうものでしたが、戦後、つくり手が女性にうつったことで、より華やかに進化を遂げました。
■ゆで落花生
アンデス原産の落花生が、東アジアを経由して沖縄から入ってきたのが1706年。柔らかくて水はけの良い火山灰地が栽培に適しているため、富士山や箱根山の火山灰が降り積もった関東ローム層である千葉県は、全国第1位の生産量で、国内の7割以上を占めるようになりました。生の落花生は収穫した時点からすぐに硬くなり始め、味も落ちてしまうため「ゆで落花生」は、畑から採れたての生のものを、すぐにゆでた、産地ならではの季節の一品です。
■落花生味噌
落花生は「南京豆」とも呼ばれ、日本には江戸時代ごろ伝わりました。一般に煎ったりゆでたりしてそのまま食べることが多いのですが、市場に出回らない規格外品の活用方法として農家の人たちが「落花生味噌」を考案しました。落花生には脂肪、たんぱく質などの栄養素が豊富に含まれることから、今ほど食料が豊富でなかった時代、保存食として重宝され、生落花生が手に入ったときには、各家庭で好みの味付けで、落花生味噌がつくられました。
■高津のとり飯
醤油で煮た鶏肉をご飯とまぜるだけのシンプルな「高津のとり飯」は、安産祈願のために婦人が集まって子安神を祭る子安講や、本格的な収穫をおこなう前の豊作を願った行事である八朔の時には、古くから食べられていました。子安講は、農家のお嫁さんの月1回のお楽しみ会で、子育てなどの話などをしたとのこと。また旧暦8月1日におこなわれた八朔は、商売人には特別な日であり、お世話になった人にお礼の品を持ってあいさつに出かけていました。
■鶏雑炊
「鶏雑炊(とりどせ)」は正月や冠婚葬祭などのハレの日、集会や祭りなどの人寄せに食される郷土料理です。昔は、どの農家でもニワトリを飼っていたことから、人寄せの食事以外の家庭食としても食されていました。また「とりどせ」ではなく方言で「とっどせ」とも呼ばれることがあります。鶏雑炊に入っている鶏団子には、よくたたき粉々にした骨を混ぜ込ませています。このようにして、貴重な鶏肉を無駄なく食べる工夫が施されてきました。
【松戸】中華蕎麦 とみ田
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