年間第25主日「神が天の国に場所を用意してくれるように、立ち回れ」【こうじ神父・取って食べなさい】
Автор: こうじ神父「取って食べなさい」
Загружено: 2025-09-20
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年間第25主日(ルカ16:1-13)「神が天の国に場所を用意してくれるように、立ち回れ」【こうじ神父・取って食べなさい】
今日、敬老のお祝いを受ける皆様、今日まで健康で、神さまの祝福をたくさん頂いてきたことにあらためて敬意を表します。金婚式を迎えた方もおいでになっています。中田神父にとっても金祝のお手本です。
皆様の中には、小学生または中学生から、元気をもらえるハガキが届いた方がいると思います。「敬老の日」と書かれ、先週の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」に合わせて教区家庭委員会が作成したものです。実は私も、このハガキが司祭館のポストに入っていました。15年後に読めばちょうど良かったのですが、つい誘惑に負けて書かれた内容を読んでしまいまして、涙腺が緩みました。
実は過ぎた週までのあいだ、年休を取らせていただくため、約一ヶ月間、三年前とか六年前とか、九年前の説教の焼き直しを使っていました。この間に司祭評議会や顧問会など、難しい会議も挟んでいて、説教に十分時間を費やせなかったことお詫び申し上げます。
本日の朗読に登場する「不正な管理人」ですが。中田神父が思い描いた像は、長年主人に尽くしてきたベテランの管理人だったのではないかと思っています。「土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。」(16・3)
管理人を務めて日が浅いのであれば、管理人の職を解かれても別の仕事で再起することができたでしょう。しかし彼は、ひょっとしたら高齢者で、もはや転職の見込みが無いのかも知れません。管理人であるうちに、自分の命を守るために持っていた権限を手放す決意をしたのでしょう。
このたとえは、いつの時代の高齢者にも通じる話かもしれません。つまり、人生の終わりが近づいたときに最大のピンチが訪れたなら、ピンチを乗り切るためには大勝負に打って出ないといけない。残る命のためにほかはすべて手放し、危機を乗り越えなければならないということです。
職を解かれようとしている管理人は、一つずつ権限を手放していきます。油を主人に納めている人から、小麦を主人に納めている人から、それぞれ納めるべき分量を差し引きます。自分の懐に入れてよい分を、一気に手放して、油を納める人、小麦を納める人に恩を売ったのです。
この物語は、主人から預かった権限を、最終的にすべて主人にお返しできるか、自分のものにしないで手放せるか。そのことを問いかけているのだと思います。それはどんなに高い地位に就いたとしても同じことです。最近の例では、教皇ベネディクト十六世と教皇フランシスコの例が思い出されます。
教皇ベネディクト十六世は、退位したときバチカン内にある修道院に住まいを移されました。退位して「名誉教皇」という称号になりましたが、後任の教皇フランシスコと権威が並び立つことにならないように、静かに暮らしたのです。いろいろ口出しをすれば、それを叶えてくれる人はきっといたでしょう。そうなると教皇フランシスコの働きに影響が必ず出ます。「影響は出ない」と考えたとしても、出るのです。
教皇様さえ、今日のたとえ話の例に倣って、自分に与えられた権威を手放し、使用しなかったのです。すべての権威、権限が主人である神さまから与えられたものだから、一つ残さず、神さまにお返しして最後の日々を過ごしたのです。どんなに大きなものでも小さなものでも、自分のものにせず、忠実に神さまにお返しする。なんと偉大でしょう。
物語の管理人は、主人に職を解かれると悟って行動を開始しましたが、わざわざ職を解かれてから行動し始める必要はありません。この世の中でも「後進に職を譲る」という言葉がありますし、それは先輩や大先輩にしかできない、最後の務めだと思います。
中田神父はかつて、赴任した教会の最初の役員会議で、「皆さんのほとんどが、私より二回りくらい年上ですね。選挙をして入れ替わってもらいます」と宣言したことがあります。その時は不満とか不平が噴出しましたが、主任司祭の私と年齢の近い人たちが役員に推薦されて、すっかり入れ替わったのを見ました。もちろん推薦された人たちも大変ですが、たくさん学んで、大先輩にもたくさん聞いて、立派な教会役員に育ちました。
ある意味、職を中田神父に奪われた大先輩たちは、物語の管理人と同じように、急いで立ち回り、教会運営上の影響力を手放したのです。賢い振る舞いでした。教会での地位を手放した辛い体験は、あとで必ず、神さまが褒めてくださると思います。もちろん私も、その小教区に影響力を残すことなく、すべての権限を手放して異動しました。私が手放したものがどう使われているか、それは気になるときがあります。
いずれにしても、物語の主人は、不正な管理人の抜け目のないやり方を褒めました。手放すことはしばしば辛いものですが、手放すものの中には、恩を売ることができるものも結構あるのです。小教区からいただいて司祭たちは食べさせてもらったり、生活に使う物を買ったりしますが、そうして使っても最後にその小教区にたくさんのものを手放していく司祭がいます。私もすでに、黙想会の謝礼を手放しました。
司祭こそ、土を掘る力もないし、物乞いで生きていくこともできません。小教区の信徒に感謝されるような形で一つずつ手放すことが、いつまでも迎え入れてもらえる唯一の道ではないでしょうか。なかでも、これまでの経験から、司祭が最後に手放すべきは居住地、住所変更だと悟りました。転勤の辞令が来たのに同じ住所のままというのは、司祭として最後の務めを果たしていないです。これは長崎教区のすべての聖職者に言いたいです。
今日お集まりの高齢者も、きっと鮮やかに、身軽に、持っていた権限や立場上の力を、惜しげも無く譲って今日まで過ごしてきたと信じております。その働きの上に、神さまが幾重にも祝福を送って下さるよう、ミサの中でお祈りいたします。
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