蛇宮(じゃぐう)神社 群馬県富岡市七日市 no.0028
Автор: もめむみま
Загружено: 2025-12-16
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蛇宮(じゃぐう)神社
群馬県富岡市七日市
no.0028
御祭神
高龗神(たかおかみのかみ)
創建年は不詳だが
25本の写本が残る『上野国神名帳』に
「従五位上 於神(おかみ)明神」と
記載のある古社とされる
社伝によればその後
諏訪大明神が祀られたが
明応3年(1494年)には
蛇宮(じゃぐう)大明神として
再建されたという
御祭神の高龗神は
記紀神話の神産みで
イザナギが火の神・カグツチを
斬り殺した際に生まれた神とされ
京都・貴船神社に祀られる
水の神、龍神とも言われている
当社には御神体として
「龍の爪かき石」と呼ばれる
縄文後期(紀元前2,000〜1,000年頃)の
神籠石(こうごいし)が鎮座しており
白蛇が龍になって天に昇る際に
爪を石に引っかけたという
伝承があることから
蛇宮神社の社名と
龍神の性格を持つ高龗神を
お祀りすることになったと考えられる
また「龍の爪かき石」の隣には
妊婦のお腹のように臍(へそ)が
あるように見えることから
孕み石と呼ばれる
球石(たまいし)が鎮座しており
弘化3年(1846年)
高田川の洪水の際に
近隣の人がこの球石を発見し
神様が川に投げ込んだ石として
当社に安置したとされる
以来、安産の神として
多くの人々が球石を撫でる
と言われている
このように神様の意志が
働いていると思えるほどの
多くの奇岩が現れており
これは当社を挟むように流れる
鏑川と高田川が生み出している
とも考えられる
御祭神の高龗神や
蛇宮という名称には
こうした川の急流という意味も
込められているのかもしれない
また龍に関連して
中世に鎮座した諏訪大明神も
龍蛇(りゅうだ)信仰の
痕跡があると言われ
中世の説話集『神道集』には
「諏訪縁起の事」として
主人公の甲賀三郎が
龍神となるストーリーが語られる
この甲賀三郎伝説は
諏訪大社・大祝(おおほうり)の諏訪氏が
北条得宗家の御内人(みうちびと)となり
鎌倉幕府の庇護の下で
諏訪信仰が全国に広がったものの
鎌倉幕府滅亡後
御内人の諏訪頼重らが
建武2年(1335年)に
最後の執権・北条高時の遺児
北条時行を擁立する
中先代の乱が失敗し
諏訪氏・諏訪大社の権威が失墜する
甲賀三郎伝説は
そうした中で求められた
新たな諏訪縁起とされる
かつて鎮座した
諏訪大明神も龍蛇神と御縁がある他
古代の当地を支配したとされる
物部氏も蛇行剣(だこうけん)と呼ばれる
祭祀器具を用いたとされる
蛇行剣は奈良市の
富雄丸山古墳で発掘され
蛇は権力や再生の象徴として
「布瑠部由良由良(ふるべゆらゆら)」
と呼ばれる祝詞で
死者を蘇らせたとも伝わる
このように水神にまつわる
蛇や龍と関わりのある当社だが
元和2年(1616年)には前田利孝が
当地・七日市藩1万石を賜り
その庇護と崇敬を受けたとされる
前田利孝は初代・加賀藩主
前田利家の5男であり
江戸藩邸で前田利家正室の
芳春院(まつ)に養育され
徳川秀忠の小姓として仕えると
旗本として大坂の陣にも参戦した
兄の富山藩・前田利次
大聖寺藩・前田利治は
加賀藩から分知されたが
前田利孝は幕府から新知されたため
外様大名ながら
譜代大名のような扱いだったという
1万石の小藩のため
本家・加賀藩から財政支援を受け
領外の隣町・富岡村の方が栄えるなど
藩財政は苦しかったという
幕末には水戸藩の尊王攘夷派
天狗党の乱が押し寄せ
用人の横尾鬼角(おにずみ)が交渉して
戦闘を回避するなどの苦難があり
戊辰戦争では新政府側として出兵し
廃藩置県まで所領を安堵されたという
なお隣接する
群馬県立富岡高校の敷地は
かつての七日市藩陣屋が
あった場所とされる
そして当社の江戸時代は
蛇宮山金剛院慈眼(じがん)寺が
別当寺を務めており
社宝には
初代藩主・前田利孝の
春日大明神の御守付き
「鯰尾(なまずお)の兜」が
所蔵されているという
また寛政9年(1797年)に発掘された
オオツノシカの化石は
七日市藩に献上された後
昭和8年(1933年)旧藩主の前田家から
当社に寄進されたという
オオツノシカは
約40万年前の更新世
ユーラシア大陸に現れ
1万5,000年前まで棲息したと
言われている
また境内社は八幡宮と
盛土の上の御嶽神社が鎮座し
一説に盛土は古墳とも
言われている
なお江戸時代の当地
甘楽郡七日市村は
全村が七日市藩領で
917石あったとされる
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