かつて日本の近代化を支えた | 旧志津川発電所、静かに眠る巨大な廃墟
Автор: 神々旅行記
Загружено: 2025-11-28
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志津川発電所は、日本の近代化と電力需要の拡大を背景に、大正時代に京都府宇治市の宇治川に建設された大規模な水力発電所です。琵琶湖から流れ出す宇治川の豊富な水量と、古くから治水・利水が行われてきた地形を最大限に活用しようという、当時の壮大な国家プロジェクトの一つでした。
■第一章:宇治川電気による誕生(大正期)
1. 設立の背景と事業競争
明治末期から大正初期にかけ、宇治川での電力開発は複数の事業者が競願するほどの激戦区でした。こうした競争を経て、最終的に事業を担うことになったのが、宇治川電気株式会社です。
大正13年(1924年)、宇治川電気の第二期事業の一環として、志津川発電所は運転を開始しました。
2. 設計と技術的な特徴
志津川発電所の設計は、当時の高い土木技術を結集したものでした。
認可最大出力:32,000 kW。これは当時の関西地方においても有数の規模を誇りました。
取水設備: 発電用水を取り込むための**大峯堰堤(おおみねえんてい)**が上流に建設されました。
水路: 大峯堰堤と発電所を結ぶ水路は約1.8kmあり、その**全てが隧道(トンネル)**という大規模なものでした。東京帝国大学出身の石井穎一郎氏が設計を担当し、発電所建設は沢井組が手掛けました。
建物構造: 発電設備棟と配電設備棟の2棟からなるレンガ造りの建物は、大正ロマンを感じさせる重厚なデザインで、現在もその姿を残しています。
■第二章:国家管理と所有者の変遷(戦中期〜戦後)
電力の国家管理体制への移行に伴い、志津川発電所もその運命を大きく変えていきました。
昭和14年頃(1939年頃): 電力管理法に基づき、国家の電力政策を担う日本発送電株式会社へ所有者が移管されました。
昭和25年(1950年): 終戦後の電力事業再編により、地域別の電力会社が設立され、志津川発電所は関西電力株式会社の所有となりました。
◇地域の人気者「おとぎ電車」
この時期、大峯堰堤のそばから天ヶ瀬までの区間では、かつてダム建設に使われた資材運搬用のトロッコ線が、観光用の**「おとぎ電車」**として運行され、行楽客で賑わいました(昭和25年~昭和35年の約10年間)。
■第三章:天ヶ瀬ダム計画と発電所の終焉
志津川発電所の歴史は、宇治川の治水事業の転換期によって幕を閉じます。
廃止のきっかけ: 昭和28年(1953年)の台風13号による宇治川の大氾濫は、京都や大阪に甚大な被害をもたらし、抜本的な治水対策の必要性が高まりました。
天ヶ瀬ダムの建設: この対策として計画されたのが、巨大な天ヶ瀬ダムです。
昭和39年(1964年)、天ヶ瀬ダムが竣工し、同時に天ヶ瀬発電所の運転が開始されました。
天ヶ瀬ダムの完成により、志津川発電所の取水元であった大峯堰堤はダム湖(鳳凰湖)の底に水没しました。これに伴い、志津川発電所は役目を終え、同年をもって運転を終了し廃止となりました。
■ 第四章:産業遺産としての「第二の人生」
発電所としての役割は終えましたが、歴史的価値の高い建物は取り壊されることなく、現在に至るまで活用されています。
昭和47年(1972年): 関西電力系の建設コンサルタントである**新日本技術コンサルタント(現・ニュージェック)**が建物を借り受け、水理実験所として使用を開始しました。
現在の価値: この建物は、建設当初の大正時代の発電施設や建物の構造を、大きな改修を受けることなく現代に伝えている貴重な産業遺産として、土木技術史においても非常に重要な存在となっています。
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