十石古道と大柳川渓谷|源氏山に導かれるように—。
Автор: ぼっち登山日和
Загружено: 2025-10-13
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まだ暑い日でした。
渓谷を歩けば少しは涼しさを感じられるかもしれない。
最初はそんな軽い気持ちで計画した大柳川渓谷の散策でしたが、計画を練るうちに、この場所の魅力に心を惹かれていました。
理由は単純です。「この水は、源氏山から流れてくる」。
源氏山。7月に登ったあの山。
頂で汗を拭い、埋もれるように山の静寂を感じたあの場所から、この水が生まれている。
そう想像すると、なんだか必然というか、導かれるような感覚がありました。
山に登り、その山がもたらすものも同時に見たい。
そう思って地図を広げました。渓谷の遊歩道だけでは短い。
周辺に目を配ると、十石古道という名前が目に留まりました。
「ふーん、古道があるのか」
地図上では点ほどの大きさしかない十石集落。
ところが調べていくうちに、いろいろな興味深いことがわかってきました。
旧鰍沢町に含まれていたこの小さな集落は、意外にも交通網の要点のように見えました。
山間の僻地ではなく、何かの結節点だったのではないか、そんな予感が湧きました。
大柳川は富士川の支流で、やがて富士川と合流し、大河となります。
山を登るとき、私は源頭域を意識します。
稜線から見下ろす谷、最初の一滴が生まれる場所。きっと多くの登山者がそうでしょう。
しかし今回は、富士川という存在が、私の関心を源流から河口へと向けさせました。
富士川。この川は「舟運」という歴史的背景を持っています。
江戸時代、富士川は物資を運ぶ大動脈でした。
駿河湾と甲斐国を結び、「下げ米、上げ塩」の物流構造が確立していました。
下り(南方向)は主に米、上り(北方向)は塩。
この川を行き来したのが高瀬舟です。平底で喫水が浅く、急流にも対応できる構造でした。
一艘に積める米はおよそ十石。
十石という集落の名前は、この舟に積まれた米の単位に由来するのかもしれません。
船の帰路、岩淵から鰍沢への川上げは、船頭たちが陸からロープで舟を引き上げる重労働で、4~5日を要したといいます。
その様子を描いている絵を見ているだけで、切なさがこみ上げます。
地図の上の点は、水運の歴史の中で意味を持つ場所でした。古道は、川と山をつなぐ道だったのでしょう。
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国道52号線沿いに、富士川町歴史文化館「塩の華」があります。
約300年にわたって地域の発展を支えた富士川舟運。
その歴史資料を通じて、かつて富士川を行き交った舟運の賑わいや、物流の要所として栄えた鰍沢の姿を知ることができます。
当時の人々の暮らしや知恵、川とともに生きた文化が、展示を通じて鮮やかによみがえります。
なんと無料です。
訪れた際には、ボランティアガイドの方が丁寧に説明してくださいました。
富士川の河岸として隆盛を極めた鰍沢では、舟運で運ばれてきた塩は、湿ったり濡れたりしていたので、乾かして詰め直す作業が盛んに行われていたといいます。
その塩は信濃へと運ばれました。
しかし、この富士川に、一体どこから塩が運ばれてきたのか、その答えに驚かされました。
なんと、私の故郷の愛媛から。または徳島から。
そして江戸後期には赤穂の塩が、はるばるこの山梨まで運ばれていたのです。
源氏山から流れてくる清らかな水。
もちろん富士川には無数の源流があり、源氏山はそのひとつに過ぎません。
ただ一滴の水が、川となり、道となり、文化となる。
そのことに思いを馳せながら、私は渓谷を後にしました。
撮影日:2025年9月21日(日)
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