「しまわない」ことで、続くもの。 (ショート法話635)
Автор: YouTube仏教法話 北海道岩見沢市・幌向善光寺 ~北の寺からch~
Загружено: 2026-01-20
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北海道岩見沢市幌向 浄土宗西山禅林寺派「善光寺」 大久保瑞昭住職による短時間で聞けるショート法話です。 #仏教 #浄土宗 #西山派 #法話 #お経 #念仏 #北海道 #岩見沢 #幌向
※当・善光寺は、檀家さんより、年間、維持費として一万円、十夜法要への寄付金として五千円~をいただいております。
※当・善光寺では、いったん檀家になり、それを辞める場合でも、他の多くの寺院と同様に、「離檀料(りだんりょう)」は必要ありません。
※随時、御朱印を承っています(要予約)。
「ならわし卒業」とは、「年賀状じまい、墓じまい、お中元・お歳暮じまい等の『〇〇じまい』によって、過去の形式に縛られず、自分らしい関係性や生きかたを再構築する行為」とされているとのことです。
先日、或る布教使さんのお説教を聞いたのですが、それは、或る青年についてのもので、こういうお話しでした。
その青年は、二十代半ばの方です。実家を出て数年が経ち、仕事にも生活にも慣れ、いわゆる「ちゃんと一人で生きている」という状態です。
その青年の祖父が亡くなったのは、彼が大学に入った頃でした。青年は子どもの頃から墓参りには連れて行かれていましたが、その時に、特別な説明を受けた記憶はなかったのです。
ただ、「お花を替える」「線香に火をつける」「一礼して手を合わせる」、そういうことのみを教えてもらっていたのです。
そして、そういったことは、周囲の四季折々の風景やお墓までの道順と一緒に、彼の身体に残っていました。
その彼も、社会人になってからは、盆も彼岸も、必ず帰省できるわけではありませんでした。
ある年、その青年は、仕事が立て込み、「今年は行かなくてもいいか」と、何気なく、思っていたそうです。
お参りをしないからといって、誰に責められるわけでもありませんからね。
そうして、今年はお参りをしないでおこうと思っていたのですが、やはり、その青年は、自分の中で、何かが引っかかっていたのですね。
彼はこうおっしゃったそうです。
「罪悪感ってほどじゃないんです。悪いことをした感じでもない。でも、なんていうか……自分の生活に、急に『雑音』が入ってくる感じがした」
部屋は片付いている。仕事も問題なく回っている。
でも、「雑に生きている感じ」が、そこはかとなく感じられるようになってきた。
そうして、その週末、彼は仕事の予定を一つだけずらして、一人でお墓に向かいました。
お花屋さんで花を選び、お線香を買い、墓石の前に立つ。
手を合わせた瞬間、「生活が元に戻った感じ」がして、安心したと青年はおっしゃったそうです。
こういうお話だったのですね。
その青年は、お墓参りで、特別に何かを祈ったわけでも、願い事をしたわけでもありません。
ただ、人としての姿勢を、一度、整え直した、ということなのでしょうね。
それは、自分の「生き方」を整える、ということでもあったのですね。
お釈迦様のお言葉です。
水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯め、大工は木材を矯め、慎しみ深い人々は自己をととのえる。(『ダンマパダ』145)
お墓参りという「習慣(ならわし)」によって、亡き人を丁寧に扱い、そのことが結果として、自分自身をも丁寧に扱うことになっている。
自分自身を丁寧に扱う、ということは、亡き人に向き合うことで、一歩一歩、自分を見つめながら、顧みながら生きていく、ということでしょうね。
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