馬生 雲助 柳朝 一朝 伝統は師弟で継承される【落語】
Автор: 落語ch:荒獅子男乃助
Загружено: 2025-12-11
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馬生 雲助 柳朝 一朝 伝統は師弟で継承される【落語】
0:48たがや 29:11五人廻し 1:02:08つき馬 1:31:27七段目 1:50:36エンドトーク
「たがや」
両国の川開きの花火見物で両国橋の上は身動きがとれないくらいの大変な人出。花火が打ち上がるたびに、「玉屋ぁ~」「鍵屋ぁ~」の掛け声が上がるが玉屋の掛け声が多い。橋の上を通りかかったのが桶のたがを抱えたたが屋。見物人に押されたはずみに、たががはずれて馬上の武士の笠を飛ばしてしまう。たが屋は平謝りに謝るが怒った武士は手打ちにすると言いだす・・・
東大落語会は「町人の武士に対するレジスタンス」と評している。興津要によれば、本来はたが屋の首が飛ぶ噺であったが、幕末にたが屋が武士に対して抵抗を見せるという現代に残る形に改作されたという
十代目 金原亭 馬生
5代目古今亭志ん生の長男で三代目古今亭志ん朝の兄。1948年に真打昇進し五代目古今亭志ん橋を襲名。1949年10月に10代目金原亭馬生を襲名した。父・志ん生からはあまり噺の稽古をつけてもらえなかったため他の師匠から稽古を受けたり独流で噺を練り上げたりすることで独自の芸風を磨き続け三遊派・柳派両派のネタを多く持った。また、人情噺などのじっくり聴かせる噺に本領を発揮し、独自の芸風を確立した。書画は本職並みで、俳句も作り、結城昌治らと第一次「くちなし句会」を1978年に結成。青木雨彦、高橋呉郎、大泉拓、村上豊、青柳純一、小田島雅和らがメンバーだったが、1982年の馬生の死で解散している。酒仙でもあった。また、私生活では噺家らしく和服を貫いていた。
「五人廻し」
川柳に「人は客我が身は間夫と思う客」「女郎買いふられて帰る果報者」五人の客を取った喜瀬川花魁、杢兵衛大尽の部屋へ入ったきりで他の客の廻し部屋には廻って行かない。こうなると苦情処理係の若い衆は忙しい。初めの客は料理だけ食って出て行ったきり待てど暮らせど姿を見せない三日月女郎、いや今宵は皆既月食か喜瀬川を寝たふりをして待っている男の部屋。若い衆「・・・もうじきお見えになります。しばらくご辛抱を・・・吉原には吉原の法、廓の法がございます・・・」でカチンときた・・・明治末期から大正(1910年代)に、初代柳家小せんが、今日の演出を完成した。6代目三遊亭圓生は小せんのスタイルを受け継ぎ、5代目古今亭志ん生も小せんから教えられている
六代目 五街道 雲助
2023年7月重要無形文化財保持者認定 2025年春の叙勲で旭日小綬章受章
代数については確かな資料もなく分からないのだが二ツ目昇進時、師匠の十代目金原亭馬生にお願いをして手拭いの柄を描いて貰った時に「六代目でいいやなぁ」と言われ、そのまま手ぬぐいの柄にも「六代目」と描かれたのでずっと「六代目」と名乗っている。前座で駒七と名乗っていた頃に師匠の馬生から、長女である志津子(池波志乃)の前で「一緒になる気はないか」と結婚を打診された事がある。自身が珍しい名前を名乗っていることから、弟子には真打昇進と同時に珍しい名前を名乗らせている。
「つき馬」
吉原で遊んで無銭飲食した者や勘定が足りない者には若い衆がその家までついて行って勘定を取り立てました。これを付き馬といいます。見世の前で客を引いていた若い衆が男を呼び止めた男は多町で金貸しをしてい親戚の代わりに貸した金を集金に来たが先方の準備が整うまで冷やかしているだけで見世には上がれないと言う。若い衆はなおも引き留めると男は「ひと晩あたしをあんたの店で遊ばせてくれないかな? 明日掛け取りした金で支払いをするから」と持ちかける・・・。別題として「付け馬」(つけうま)「早桶屋」(はやおけや)「付き馬の付き馬」(つきうまのつきうま)。主に江戸落語で広く演じられる。
五代目春風亭柳朝
林家彦六一門の総領弟子。間違えられやすいが春風亭柳昇と師弟関係はない。真打昇進の際に「春風亭」になったのは、師匠の彦六が「林家正蔵」の名跡を初代林家三平より一代限りで借り受けていたので、自分の弟子が真打に昇進したときは他の亭号に変えさせていたためである。「春風亭」の名跡は落語協会にもあったが封印されていたので、当時の日本芸術協会(現:落語芸術協会)の会長だった六代目柳橋の了解を得て春風亭柳朝を名乗った。七代目立川談志の前座時代、談志に最も辛く当たった先輩と言われていて、談志曰く「よく苛められた」と言っているが当の柳朝は「そんなに苛めたかな」と記憶になかった様子である。二代目三遊亭金翁(当時四代目三遊亭金馬)が師匠の三代目三遊亭金馬死去後に落語協会に所属する際に香盤をどこにするかもめたが、柳朝が「俺は金馬さんの後ろでいい」と言って収まった。このことを金翁は「生涯柳朝さんに恩義を感じる」と語り、柳朝が倒れてからも中元歳暮は欠かさず、少なからぬ額の現金を柳朝に贈っていたという
「七段目」
芝居噺に分類される演目である。上方落語・江戸落語の両方で演じられる。江戸では『役者息子』の演題もある。芝居好きの商家の若旦那をたしなめに行かされた丁稚も芝居が好きだったため、二人して即興の芝居を演じるという内容。題名の由来は、中盤で歌舞伎の演目『仮名手本忠臣蔵』の七段目「祇園一力茶屋の場」にあたる場面が取り上げられていて、お軽は夫の勘平のために遊女となり密書を盗み読みする役どころです。興が乗って若旦那の芝居が怪しくなり危険を察知した丁稚は階段から・・・
春風亭一朝
五代目春風亭柳朝の総領弟子。師匠柳朝と同じく江戸前噺家である。またNHK大河ドラマ『龍馬伝』をはじめとしたNHKの時代劇ドラマの江戸ことば指導、映画『みをつくし料理帖』の廓言葉の指導も行なった。柳朝の師匠八代目林家正蔵にとって最初の孫弟子である。実際に、最初に入門を願い出た先は彦六の門であったが彦六は高齢であったうえに当時は三代目八光亭春輔、三遊亭好楽の2人が前座の身で、これ以上は面倒が見切れないということから、総領弟子柳朝に頼み、柳朝も快く引き受けた。趣味とする笛は、歌舞伎や落語での囃子を担当する程の名手。妻は歌舞伎役者、五代目片岡市蔵の娘である。
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