文治 一朝 雲助 小三治 人は裏表ひっくり返して真が見える?【落語】
Автор: 落語ch:荒獅子男乃助
Загружено: 2025-11-23
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0:48女給の文 8:15壺算 32:14子ほめ 46:09鼠穴 1:44:27エンドトーク
「女給の文」
別名『ラブレター』、10代目桂文治、4代目柳亭痴楽 が得意としていた。
とあるカフェの女給からラブレターをもらった主人公。嬉しくなった彼は、丁寧に手紙を裏打ちした上で友人に見せびらかした。呆れながらも友人は手紙を読んでみるが仮名ばっかりで電報みたいな手紙。実はこのラブレター、とてつもなく下手な字で書かれているのだ。悪筆に悩まされ何度も脱線しながら何とか手紙を読みすすめてやっと最終行を読むと・・・
十代目 桂 文治
早くから噺家志望であったが、軍需工場工員を経て1944年に召集令状を受ける。終戦後日本に帰国後の1946年6月、2代目桂小文治に師事し父の名であった柳家小よしを名乗るが後に師の亭号が桂だったために桂小よしに改名。1948年10月、2代目桂伸治に改名し二つ目昇進。1958年9月真打昇進。1979年3月、亡くなった9代目桂文治の盟友である8代目林家正蔵(後の林家彦六)の推薦で10代目桂文治を襲名。桂派宗家となる。1999年9月、4代目桂米丸の後任で落語芸術協会会長就任。正調の江戸弁を大切にしていた噺家であった。江戸言葉に厳しかったことで有名で、例えば「やじうま(野次馬)」ではなく「やじんま」「何を言やがるんでえ」ではなく「何をいやんでぇ」また江戸の職人は「やかましいやい」ではなく「うるせいやい」、商人は「ありがとうございました」では縁が切れるから「ありがとうございます」や「ありがとう存じます」というのが正しいんだ、という持論があった。晩年、寄席への行き来に使っていた路線の女子高校生たちに「ラッキーおじいさん」と呼ばれ「ラッキーおじいさん」に会えればその日一日が幸せになると噂されるようになった
「壺算」
別名に『壺算用』(つぼざんよう)巧妙な手口で壺を値切って買おうとする男の噺。元は上方落語の演目で3代目三遊亭圓馬が東京へ移入した。登場するのは瓶(かめ)なのに、題は「壺」である理由について、唐沢俊一ば、もともと家普請で坪数の計算誤りのことを「坪算」と言い、それに掛けたダジャレであると説明している。主な演者として、東京の6代目三升家小勝や3代目柳家権太楼、上方の2代目桂枝雀、3代目笑福亭仁鶴などがいる。立川談笑は「薄型テレビ算」という改作落語を演じている
春風亭一朝
五代目春風亭柳朝の総領弟子。師匠柳朝と同じく江戸前噺家である。またNHK大河ドラマ『龍馬伝』をはじめとしたNHKの時代劇ドラマの江戸ことば指導、映画『みをつくし料理帖』の廓言葉の指導も行なった。柳朝の師匠八代目林家正蔵にとって最初の孫弟子である。実際に、最初に入門を願い出た先は彦六の門であったが彦六は高齢であったうえに当時は三代目八光亭春輔、三遊亭好楽の2人が前座の身で、これ以上は面倒が見切れないということから、総領弟子柳朝に頼み、柳朝も快く引き受けた。趣味とする笛は、歌舞伎や落語での囃子を担当する程の名手。妻は歌舞伎役者、五代目片岡市蔵の娘である。
「子ほめ」
「子褒め」とも表記される。別題として「赤子褒め(あかごほめ)」「年ほめ(としほめ)」もとは上方落語の演目で3代目三遊亭圓馬によって江戸落語に持ち込まれた。いわゆる前座噺に数えられる。少々頭の弱い男が子どもが生まれたばかりの家に行って祝いのほめ言葉を話してもてなしを受けようとするのだが、言い間違えてしまいもてなしを受けられないという内容。サゲは一門や演者によって微妙に異なる。
六代目 五街道 雲助
2023年7月重要無形文化財保持者認定 2025年春の叙勲で旭日小綬章受章
代数については確かな資料もなく分からないのだが二ツ目昇進時、師匠の十代目金原亭馬生にお願いをして手拭いの柄を描いて貰った時に「六代目でいいやなぁ」と言われ、そのまま手ぬぐいの柄にも「六代目」と描かれたのでずっと「六代目」と名乗っている。前座で駒七と名乗っていた頃に師匠の馬生から、長女である志津子(池波志乃)の前で「一緒になる気はないか」と結婚を打診された事がある。自身が珍しい名前を名乗っていることから、弟子には真打昇進と同時に珍しい名前を名乗らせている。
「鼠穴」
国元の親から兄弟二人で譲り受けた身上を悪友に誘われ博打、茶屋酒ですっかり使い果たしてしまった竹次郎。江戸で商売をしている兄の店で奉公をさせてもらおうとやって来る。しばらく考えた兄は「奉公するより元手を貸すから自分で商売をしてみろ」と言う。渡された包を持って表に出て開けて見ると三文。「ふざけやがって」と地面へ叩きつけようとするが「地面掘っても一文も出て来やしない。これで商売出来ねえこともねえ」と気を取り直す
十代目 柳家 小三治
「まくらの小三治」と呼ばれるほど、まくらに力を入れており小三治のまくらを聴きに寄席に足を運ぶ常連もいたという。中堅どころの名跡であった「柳家小三治」を真打昇進から2021年に没するまで名乗り通した。この間落語協会理事や同協会会長を歴任し重要無形文化財保持者(人間国宝)にも認定され東京落語界の大看板になった。小三治は「名前を大きくした」と言われ四代目桂米丸や五代目三遊亭圓楽に並び本来留め名ではなかった中堅名跡を名乗り通し大看板となった落語家のひとりである。弟子や若手に対する指導が厳しいことで知られていた。池袋演芸場で行われていたある日の「二ツ目勉強会」では、芸を批評するために小三治が来場することが出演者に告げられると、リラックスしていた楽屋に一気に緊張感が走り、強面で知られる三代目橘家文蔵(当時:橘家文吾)は落ち着きを失って顔面蒼白になったり、三代目柳家甚語楼(当時:柳家さん光)は固まったように黙ってしまったという。中には「噺家を辞めて故郷へ帰れ!」と小三治に叱責された二ツ目もいたとされる。
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